入った寝床とは違う、柔らかく体を包み込む感覚に違和感を覚えて、身を起こす。いつか見たような部屋の間取りに、出口であろう扉の上に掲げられたプレートを目にして、心底呆れてため息をついた。
『セックスしないと出られない部屋』
「またですか」
思わずそうぼやくと、隣で寝ていた長谷部も目を覚ましたか、呻きながら体を起こす。目を擦る相手に、扉の上の文字を指差してやれば、唇の端が引きつった。
「今までのは誰と誰が当たっても冗談ですんだが、これは……」
「さすがに主に進言したほうがいいんじゃないんですか、このバグ」
「そうだな、そうしよう」
この本丸には不定期にこんな部屋が生える。生える、としか言いようがない。
誰か不特定の二人が目が覚めたら同じ部屋にいて、条件を満たすまで出られない。条件は時々によって違うが、ハグするまで出られない、キスするまで出られない、膝枕をするまで出られないなど、飲みの余興のような他愛ない条件ばかりだったはずだ。
意味のわからないものではあれど、大した害はないからと放置されていたが、こんな条件が出てくるなら放っておくわけにもいかないだろう。
それはそれとして、だ。まずは自分たちがここから出なくてはならない。
別にやりたくないわけでもないが、こんな義務的にこなしたい行為でもない。気乗りしないため息を一つこぼせば、隣でびくりと体をすくませる気配があった。
「はぁ……こんな作業じみた行為、あまり好きじゃないんですけどね」
「いや、その、待て」
これからする行為にはお誂え向きに整った、柔らかな弾力のあるベッドに相手の肩を掴んで押し倒せば、腕を突っ張られて拒まれた。
「なんです今更。生娘でもあるまいし」
揶揄する言葉が出るのはもう性分だ。
じっと相手の目を見つめて真意を探る。が、すぐにその藤色の瞳は逸らされる。その頬はほのかに紅く色づいていた。
「ちがう、したくないわけじゃないんたが、したくなくて」
どうにも歯切れが悪い。普段何事も、即断即決の長谷部にしては珍しい態度だ。あえて口を開かないまま、相手の出方を伺った。
「……そんなに焦って出なくても、いいんじゃないか?」
「そりゃここでは時間は流れませんし、問題はありませんけど。あなたらしくもない言い方をする」
「その、だな」
長谷部は言いにくそうに口ごもって、顎を引いてうつむく。突っぱねた手は力なく落ちていって、こちらの着物の袖の端をきゅっと掴んだ。
「昔はずっと顔を合わせていたよな。部屋も同じで、部隊も同じで、生活リズムも揃ってた」
どこかこもりがちに話す長谷部に、無言で先を促す。こちらの言いたいことなどわかっているくせにという顔で睨まれるが、赤面した顔ではてんで迫力がない。ただただ可愛いだけだ。
「今はお互い現役を退いた分、やることがある。俺は執務の方に、お前は戦術部の方に行っただろう。それぞれ交流はあるが、基本顔を合わせない。休みのタイミングも合わなくなった」
わなわなと長谷部の唇が震える。あと一声を出すのをためらっているのだ。今までのように宗三のほうから言ってくれないかと。けど宗三にはそんなつもりはさらさらなかった。だって長谷部から貴重な言葉が引き出せる機会なんて、そうそうない。逃すはずがなかった。
「戦がない分夜に顔は合わせるが、それだけだ。それで普通は十分なんだろうが……おい、まだ言わせる気か。わかってるんだろう」
「さあどうでしょうね。僕はあなたではないので、言ってくれなきゃわかりません」
こちらを威勢よく睨みつけていた顔は、また伏せられて、ぐっと奥歯を噛みしめたようだった。
そんな長谷部の様子など素知らぬ顔して、ただじっと次の動作を、言葉を待つ。長谷部の口から、ちゃんと言葉が欲しかった。
しばらく口を開いては閉じ、戦慄いては引き締まり、何かを言おうとして飲み込む様子を続けたあと、覚悟を決めたような顔をしたかと思ったら、だらりと落ちていた腕が急にこちらの首へ伸びてきてしっかとしがみつかれる。
ぎゅっと押し付けられたぬくい体温を首元に感じながら、長谷部の伸びやかな、かすかに震える声を聞いた。
「……さみしかったんだよ。だから、もう少し……ここにいたい」
はああと肺の奥から吐き出したような深いため息をついて、体の下の長谷部を抱き締める。この強情で意地っ張りな長谷部がようやく素直にこぼした『さみしかった』という言葉、嬉しくないはずがない。
いなくてさみしがるということはつまり、相手にとって『いて当たり前の存在』になれたということなので。
「……なら、少しだけ。少しだけ長く、ここにいましょうか」
「うん……」
少しクセのある、硬い髪質の髪を撫でる。長谷部はおとなしく腕の中に抱えられて、うっとりとした声を出した。
こうやって無為に過ごす時間も貴重で、悪くない。ひとすじ髪がはねるつむじにキスを落として、暖かな体温を感じながら自分も目を閉じた。
※※※
「まだですか?」
「ん、もう少し、あとちょっと……」
すっかり甘え切った長谷部の声が返る。こんな甘い声、嫌だというわけがない。
時折唇を重ね合わせたり、軽く舐めたり戯れじみたキスを繰り返すが、そこに夜の色は全く乗らない。ただただこの穏やかで、ゆったりとした時間にお互い身を委ねていた。
もぞもぞとこちらの腕の中の収まりのいい場所へ動こうとする長谷部を、腕を伸ばして抱き抱える。赤子のように体を丸めてこちらにしがみついてくる長谷部の頭のてっぺんから、ほのかに洗髪剤の匂いが香る。これといった特徴のない清潔感のある石鹸の香りは、長谷部らしくて愛おしい。
「そんなに寂しかったんですか? あなた」
「さっき言っただろうが。何度も言わせるなよ」
長谷部は答えたくないというように、ぐりぐりと頭をこちらの胸に擦り付けてくる。その指通りのいい髪を撫でつける。
いつも、こちらばかりが嫉妬しているのだと思っていた。
いつだって長谷部は主のことばかりで、主命だというのならこちらとの先約があっても、申し訳そうな顔をしながらも主命を優先してくる。
刀が主を優先するのは当たり前だ、それはわかっている。それでも、わかっていても感情で飲み込めるかどうかと言うのは別問題で、その度苦いものが喉を下って腹の底に落ちたものだ。
その長谷部が、寂しかったと言って、主に仕える刀としては当然すぐに出なければいけない部屋を後回しにして、僕に甘えている。
もうそれだけで、今後長谷部が主を優先しても、あと数百年は我慢していられそうだった。
もちろん愛する相手がこんなに近くにいて、腕の中にいて、どうにかしてやりたい欲が出てこないわけがない。けれど、それ以上にこの部屋から出るのが嫌だった。
もう一生ここから出られなくてもいい、そう思えてしまうほど。けれど、そうは問屋がおろしてくれない。
「……ん、ありがとう。もう平気だ」
ぎゅっとしがみつかれ、抱き返していた体勢から、長谷部がすこし体を離す。まるで今までの気苦労が全て落ちたかのような、穏やかでやわらかい、へにゃりと眉を下げた表情で微笑んだ。そういう顔をすると、垂れ目気味の瞳とあいまってひどく幼く見える。
「じゃあ、出るか」
「……もういいんですか?」
今度は逆に、こっちが頬を膨らませる番だった。
ここを出ると言うことは、そういうことを『する』ということで、当然否やないのだが、それとは別でもっと甘えてほしかった気持ちもある。
ぶうと膨らませた頬を指で刺して、長谷部はさっきのやわらかな笑顔のままでこちらに額を近づける。
「今日はもう十分だ。また今度、足りなくなったら甘えさせてくれよ」
「仰せのままに」
そう言われては、何も返しようがない。
目を閉じて重ね合わせた唇は、今度こそ欲を孕んだ熱を滴らせていた。