最期の約束

 侍従に先導され、部屋へ足を向ける。
 本来ならば、老いて寿命を迎えようとしている侍従など、その前に暇を出されて故郷で眠っていく。
 それがなぜ居室を割いてまで城に留められているのかといえば、他でもない王位継承者がそう指示を出したからだ。
 ……指示というよりも、駄々をこねたというほうが近いのだが。
 王位継承の一年前、攫われるように登城してきた現王にずっと付き従ってきた侍従なのだから、その御心を慮るに仕方なし、というのがお喋り雀たちの評価だがしかし、はたしてそれだけなのだろうか。
 ……とか、少しは疑惑を持たれて欲しいものである。
 これだから上面だけしか眺めない輩は困る。鋭く実際を見抜いたユリリエ嬢を見習ってほしい。

 部屋につき、これまで引き連れた守衛たちの人払いをする。二人だけで話がしたいのだ、入口でも見張っていれば賊も入れるまいと舌先三寸で、渋る守衛を説き伏せた。
 ノックをし、部屋へと入る。

 枕元のランプでうっすら明るい寝台の上に、はたして彼はいた。
 近くまでよれば、目覚めてはいたようで、こちらへ顔を向けてもらえた。かつて侍従兼刺客からの護衛として付き従っていたころに比べて、肉がおち、死の影が近寄った相貌をしている。
「レハト様……わざわざこのような老輩に、どのようなご用件でしょうか」
 用件はある。だがその前に、せめて見舞いの品にと、持ってきたものを差し出した。
「これは……わざわざレハト様がお持ちにならずとも、侍従にでも持ってこさせればよいものを……」
 ぜひ私からあなたに届けたかったのだというと、かつて礼節の勉学で見せてくれたようなほほえみを浮かべて、受け取ってくれた。
 果汁に口をつけたのを見届けて、彼に問いかける。
 以前、私が倒れた時にお見舞いに来てくれたことを覚えているかと。
 あの時は、彼のさりげない気遣いが本当に嬉しかったのだと。
「ええ、もちろん覚えておりますとも」
「あの頃のレハト様は、早く王に相応しい力を身につけようと勉学に励んでいらした。
 そんなレハト様を誇らしく思っておりましたが……」
「焦りからか少々無茶をするようなところもあって、サニャと一緒に心配していたのですよ」
「……そういえば、あの時差し上げたお飲み物も、この果汁でしたね」
 本当に覚えていてくれたらしい。

 杯を乾したのを確認して、彼に覆いかぶさるように寝台に乗り上げる。
 そのまま手をのばし、杯を掴んだままの彼の手を引き寄せた。
 その拍子で、手から盃が零れ落ち、がしゃんと耳障りな音をたてた。
 掴んだ手をそのまま自分の首まで引き寄せる。
 驚いたのは、その手首の細さだった。
 子どもの頃戯れに抱きついた腕のたくましさを思い出す。
 あの頃は私も成熟しておらず、未分化の力の弱い子どもだったとはいえ、当時との違いは明らかだ。

 ……彼は、もう、長くない。
 改めてそのことを実感した。
 きっと、今こそ最後のチャンスなのだろう。
 あの時の約束を果たしてもらうのだ。

 意図がつかめず怪訝な顔をする彼に、お願いをした。
 私を殺してほしいと。
 この言葉を理解した瞬間、彼は目を見開いて驚きを示した。
「レハト様……突然、何をおっしゃっておられるのですか」
 その反応と言葉に、つい懐かしくなって笑みをこぼす。
 なおも何かを言おうとした彼を遮るようにたたみかける。

 継承の儀の少し後のことだ。
 「ご安心ください、その時が訪れましたら必ず私めの手でと決めておりますので」
 ……彼は確かにそう言ったのだ。

 彼はそう遠くないうちに山に登るだろう。そのこと自体も私には耐え難い。
 けれどそれ以上に我慢ならないのだ。
 このまま彼が死に、私が生き続ければ、いつか必ず彼の言葉に反することになる。
 必ず私めの手で。そう言ったのに。
 私は彼の手ではなく、誰か他のものの手や神の導きで死に至ることになる。
 そんなことは許せなかった。
 私の心は彼のものであり、私の体は彼のものであり、私の命は彼のものなのだ。
 彼の命が私のものでもあるように。

 あの時の言葉を持ち出し、彼にこのまま首を絞めるように迫る。
 彼はさらに老い私は成長したけれど、それでもまだ女の細首を縊る力くらいは残されているはずだ。

 しばし、沈黙が流れた。彼が何を考えているのか……わからない。ただ、死にたがりであることは確かだ。リリアノ前陛下も、ローニカも、私も。それぞれ事情も立場も理由も違えど、それはお互いに分かり合っていると、私は思っている。

「……後悔は、ないのですね?」
 小一時間ほどの沈黙の後、帰ってきた言葉は、期待通りのものだった。無論、後悔などはない。
 笑顔で首を差し出して、その時を待った。

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