小さい頃はよかった。
僕は昔から女子にしては体が大きくて、性格も負けん気が強いせいか、男子のリーダー格と取っ組み合いの喧嘩なんてザラにあった。すっかりガキ大将扱いだったのだ。同じ女子からは頼りにされたし、男子とは対等に遊んでいた。
それがどうしてこうなったのか。わかっている、この体のせいだ。
体が大きいということは、発育もいいということでもある。
一足早く二次性徴を迎えた僕は、周りよりもずいぶん先に女性らしい体つきになってしまった。胸は無駄に大きく膨らんで、腰には丸みができてくびれができる。洋服も、肩幅に合わせると胸がぱつぱつになるし、ウエストに合わせるとお尻が見えそうになる。このくらいの男子なんて悪ガキそのもので、今まで男女扱いだったのが急に胸を揉まれたりスカートをめくってきたり、まあ一通りからかわれた。
酷かったのは電車の中だ。
散々警察に突き出しまくった今でこそ落ち着いているが、高校に入学したての頃は行きも帰りも痴漢に合わない日がなかった。最初のうちは知らないおっさんに性欲を向けられる恐怖も感じたりはしたが、こうも続くと恐怖よりも怒りが強くなる。ただでさえ不快指数の高い満員電車の中で、聞きたくもない荒い鼻息やお尻をまさぐる無骨な手、棒状のものが押し当てられる不快感に一度キレてからというもの、そういう輩はすぐに手を掴んで声を上げるようにしている。
それら一連のことがあって、僕は完全な男性不審に陥ったというわけだ。
「でもお小夜だけは違うんだ。お小夜だけは僕を女として見たりしやしない」
休み時間、いつものように前の席の長谷部に話しかける。
長谷部自身との面識は高校に入学してからのことだが、人づてに話は聞いていたせいで、最初から初対面という気がしなかった。そのせいか、人見知りをする自覚のある自分でも比較的話しかけやすい部類にあった。おかげで最近はずっと長谷部とつるんでいる。
その人づてというのが、件のお小夜であり、またその兄の宗三なのだが。
長谷部はまたその話かと言わんばかりの顔をしながらも、律儀にこちらに顔を向けてくれている。
「他の男は獣ばかりだ。理性のない動物だよ。僕が信じられるのはお小夜だけだ、お小夜だけは僕のことを昔と変わらないまま見てくれる」
「お前、仮にも彼氏持ちにそんな話するなよ。いくら話し相手がいないからって」
「失敬な! ひとを一人ぼっちみたいに!」
お小夜とは、僕の幼馴染だ。
幼稚園の頃からの顔見知りで、思慮深く少々内気なところのある小夜と、人付き合いが下手なくせに少し衝動的に動いてしまいがちな僕は相性がよかったのか、気づけはいつも隣りにいた。
小夜のほうがひとつ下なのだが、どうにも小夜に諌められることの方が多く、感覚としては同い年か兄のようにすら思っている。
そのお小夜の兄が、この長谷部の彼氏である宗三というわけだ。
僕と長谷部と宗三が同級で、小夜がひとつ下でまだ中学生だ。宗三だけが別のクラスになってしまったが、放課後には見た目からは想像できない律儀さで毎日迎えに来る。
まだ痴漢に悩んでいた頃、男がいれば違うだろうと宗三が送り迎えを申し出てくれたが、少し悩んだあと辞退した。
正直、宗三のあの見た目では、二人揃って痴漢される未来しか見えない。長谷部と宗三がふたり並んでいると、どちらが男かわからなくなるレベルなのだ。
「……しかし、お前のその盲信もなあ……」
長谷部は相変わらず興味なさそうな表情で、唸るようにこぼす。聞きとがねて突っ込めば、長谷部は言いにくそうに口を開いた。
「お前は小夜だけは違うんだなんて言い切るが、あいつだって男だぞ。表に出さないだけで我慢してるだけなんじゃないのか?」
「……なんだって?」
「お前が常々言ってるんだろうが、思春期を超えた男なんてケダモノだと。お前がそういう態度だから、あえてそういうのを表に出さない……いや、出せないんじゃないのか。かわいそうだろ、小夜が」
長谷部に苦々しい声色でそう諭され、頭にかっと血が上る。怒鳴りそうになるのを飲み込んで、ひとつ深呼吸をした。
「……長谷部、いくらきみでも許せることと許せないことがある。お小夜を侮辱するのはやめてくれ」
「侮辱したつもりはない。経験則からそう思っただけだ、怒るなよ」
降参だ、というように、長谷部は両手を上げる。とりあえずそれに溜飲を下げることにして、引っかかった言葉を口にした。
「経験則?」
「ああ……まあ、な」
歯に物が詰まったような言い方をしたかと思えば、長谷部はニヤリといやな笑顔を浮かべて言った。
「あいつも、そんな事興味なさそうな顔に見えるだろ?……俺はな、経血より先に破瓜の血を見たぞ」
「……きみね、そういう反応に困るようなことを、表で軽々しく言わないでくれないか」
「人は見た目によらないという話だ。お前、小夜のことが好きなんだろ?なのにそういうふうに見られるのは嫌だなんて、通用しないぞ」
「う……」
痛いところをついてくる。
そう、僕は幼馴染としてだけでなく、異性としてもお小夜のことが好きだった。
だってしょうがないだろう。隣りにいるのが当たり前で、誰よりも僕のことを理解してくれて、周りの友達だった人間があからさまに変わっていく中、ただ一人だけ僕の味方でいてくれた。まだ幼さの残る顔立ちながら、きりっとした目つきと、動じない物静かな佇まいは、小柄な体と反して頼りがいがある。僕が見つけたきれいなものを真っ先に見せるのはお小夜だし、それを見てくれたときの、固く青い蕾が少しだけ綻ぶようなささやかな表情の変化を見るのがなによりも大好きだ。
否が応でも女としての性を思い知らされて、世界が男と女で別れていることを思い知らされて、唯一の幼馴染も「異性」なのだと認識してしまった。そう認識してからも、彼になら女性扱いをされても大丈夫なんじゃないかと、そう思えるのはお小夜だけなのだ。
けれど、同時に「幼馴染」としてはこう思う。お小夜だけは絶対に自分を女性として見ないでいてくれるのだと。
その、唯一女性として見られないという安心感は何者にも代えがたいもので、どうしてもその絶対的な信頼を捨てきれない。
怖いのだ。もしも、もし万が一お小夜がそういう顔を見せたとして、僕はそれでもまだお小夜を好きでいられるのかどうか。
呻いたきり口を閉ざした自分を見かねてか、長谷部が少し語気を緩めて言う。
「まあ、お前が男にトラウマを持つ気持ちもわかる。今すぐ変われとは言わないさ。ただ、もう少し意識をしてみたらどうだ」
「……そうだね。そうかもしれない」
そこで予鈴が鳴り響き、長谷部は椅子を前になおして黒板の方へ向き直る。僕は頬杖をつきながら、ぼんやりと長谷部の言葉を反芻していた。