『嘔吐中枢花被性疾患』は、刀剣から刀剣には感染らないものだという話だったのだが。
へし切長谷部の花吐き病騒動は一日で片がついて、本丸に平穏が戻るかと思われたが、今度は膝丸と大包平が花を吐き出してまた本丸の主は顔を青ざめさせていた。感染らないはずだったのに、と慌てて事例を調べているらしいが、なんとなく罹った本刃としては、感染したというよりも感化されたと言う方が正しい気がしている。
ちなみに膝丸も花を吐いたとは言ったが、そちらの方も一日ですぐけろりとした顔をしていた。本丸の間では『髭切に名前を呼んでもらったから治ったんじゃないか』なんて冗談話が飛び交っているが、案外それが真実のような気もしている。
「お前が花吐き病か。俺も気付かぬうちに恋をしていたとはな」
まだ寝込むほど体調が悪いわけではないからと、特に床に伏せるようなこともなく、通常通り生活をしている。まあ茶でも飲みながら話そうと、いつものように茶をふたりぶん汲んで、鶯丸が対面に座っていた。
「お前のことなら何でも知っている気になっていたが、俺の独り相撲だったというわけか」
「何でも、は言い過ぎだろう」
「そうか? 俺ほどお前のことを観察していた刀もいないと思うが」
「それはそうだろうが」
ずず、と手元の温かい茶を啜る。相変わらず鶯丸の淹れる茶はうまかった。
本刃が言うだけあって、こいつほど俺のことを観察していた刀もいないだろう。なにせ観察日記とやらをつけているらしいのだ。こちらとしては観察されていようと何ら恥ずべき行動はしていないつもりなので別に構わないが、同刀派の仲とはいえ少し異常なのでは?と思わなくもない。どこの鶯丸もそうだというらしいので、諦める他ないが。
いつも通り、何を考えてるやらわからぬとぼけ顔で同じように茶を啜る鶯丸を観察する。いつも通り、とは言ったが、流石に何か思うところがあるのか、少し暗い顔をしているように感じた。
「それで、告白はいつするんだ」
「……さあ、どうするかな」
発症して一日で完治した膝丸は置いておくとして、一応死に至る病であることには変わりない。想いが叶わなければ折れてしまう。裏を返せば、花吐き病に感染したものからの告白を断るということは、相手を間接的に殺すようなものだ。へし切長谷部が倒れるまで花吐き病を隠し通していたのもそれが理由なのだろう。いくら想う相手だからといって、いや想う相手だからこそ、自分の命を人質にしてまで受け入れてもらいたいとは思わない。
「言っておくが、長谷部のようにぎりぎりまで黙り続けるのは感心しないぞ。何、お前は刀剣の横綱、どこに出しても遜色ない、素晴らしい刀だ。好意を寄せられて戸惑いこそすれ、拒む相手などいないだろう」
「……俺が素晴らしい刀だということは否定しないが、相手にも好みというものがあるだろう。拒む相手などいないというのは流石に言い過ぎではないか」
鶯丸が、こちらを気遣い応援してくれているのだとはわかる。ただ、そういうお前はどうなんだ、と思ってしまう。
たとえば。例えば今ここで、俺がお前に告白したとして。そこに憐憫や妥協の気なく、喜んで受け入れてくれるのか。
……恐らく、告白すれば受け入れてくれるだろう。そもそもあちらはこちらに元々好意を持ってくれている相手だし、熱心に観察するほどに興味もある。
ただ、そこに好いた惚れたのような甘い感情はあるのか?
この病気に感化される前から、ずっと引っかかり続けていたのはそこだった。
こいつは俺を観察こそするが、そこに恋愛感情の色が乗っているとは到底思えなかった。あくまで兄弟のようなもの──厳密に言えば違うが、全く外れているわけではない──そういった親愛の情だけなのではないか。そしてこいつは色々なことに寛容な質だ。たとえ一切恋愛感情などなくとも、それをぶつけられればひとまず受け止めてみせる刀なのではないか。そう考えてしまう。
そう、俺が花を吐くほど焦がれている相手というのは、まさしく鶯丸のことなのだ。
だって仕方ないだろう。こいつは、こいつの目は俺だけを映し、手放しに賞賛し、価値を正しく認めてくれる。俺が魂から渇望している評価を、惜しみなく与えてくれる。そんな相手に、絆されたって仕方ないだろう。
別に告白などしなくても、こいつはこいびとなどというものとはまた別の熱量で、俺のことを見続けてくれている。その満足感もあって、わざわざ告白しようなどとは思わなかっただけだ。……もし、こいつが恋の熱量を伴って見つめてくるとしたら、どんな顔をするのだろうと思わなくはないが。
「お前は、告白するつもりがないのか?」
「……いずれはしなければならないのだろうが、気乗りはしないな」
軽く目を見開いて問いかける鶯丸に、気だるく頷く。返ってくるものが望んでいない感情だとわかっているとはいえ、受け入れてもらえる当てがあるのにみすみすと折れることを受け入れるのは、主に仕える刀としてはふさわしくないだろう。
俺の返事を聞いた鶯丸は、何やら考え込むように軽く俯き顎に手を当てる。ややあって顔を上げたその表情は、たまに見せる、何かこちらをからかうときのような胡散臭げな笑顔に見えた。
「なら、その相手、俺に鞍替えしないか」
「は?」
言葉の意味がわからなくて、反射的に声が出る。眉間にしわが寄っているだろうこちらの表情を意に介さず、飄々と鶯丸は続けた。
「自信家のお前が告白を躊躇するほど、脈が薄い相手なんだろう。それならその相手に負担をかけるより、いっそ俺に心変わりしてしまえばどうだ。俺はお前のことが好きだからな、喜んで受け入れるぞ」
「お前な……」
また妙なこと言い出した、とため息をつく。元々俺の想い刀がこいつだからいいが、花吐き病にかかるほど拗らせた恋心を、そんな簡単に乗り換えることができると思うのか。
だが、この流れに乗ってしまうのがいいのかもしれない、と思う。ここで告白をしてしまえば、今こいつにこう言われたからなのだと言い訳もつくし、自分から言い出したことだ、まさか拒んだりもしないだろう。
俺が、虚しさを飲み込めばいいだけのことだ。
「そうだな、そうしてもいいかもしれない」
「うん。そうしろ」
はあ、と辛気臭いため息を一つつく。どう考えても今から告白をするという気分でも雰囲気でもない。
だが、告白は告白だ。こいつにとっては茶番かもしれないが、俺にとっては恐らく一度きりの告白だ。いつの間にか下がっていた肩を張り、居住まいを正す。
その名を表すような鶯色の瞳をじっと見据え、口を開いた。
「好きだ、鶯丸。こいびとになってはくれないか」
見つめた瞳が、じわじわと弧を描き、こちらを慈しむように見つめる。その穏やかな笑顔に、ああやはり好きだなあという気持ちを噛みしめた。
「ああ。喜んで」
その返事を聞いた瞬間、こらえ難い吐き気が上ってきて、床に顔をそらして嘔吐く。喉の違和感と共に吐き出したのは、銀色の百合。完治の証。
それをぼんやりと眺めていると、そっと背中に手が当てられる。
「治ったか」
「……ああ、そうだな」
まだ若干違和感が残る喉に手を当てながら、考える。完治したのであれば、いつあの告白を取り消しても問題はない。なら早いほうがいいだろう、こちらとしても仮初のこいびと関係など望んでいないのだから。
「鶯丸、さっきの告白だが、早速取り消させてくれ。お前だってこの先困るだろう」
「嫌だが?」
「そうだろう……ん?」
思っていたのと違う返事を返されて、ぎょっとしていつの間にか隣に寄り添っていた鶯丸の顔を見る。それはそれは楽しそうな、嬉しそうな笑顔に、なぜだかとてつもなく嫌な予感がした。
「俺はお前のことが好きだと言っただろう。とはいえ、先にきちんと告白したのはお前だからな。お前から反故にするのは許さんぞ」
「……はあ?!」
想像もしていなかった言葉をかけられて、絶句する。その間にも、妙に饒舌に言い募られた。
「花吐き病が完治したということは、お前だって満更でもなかったんだろう。なら、そのまま俺のことを好きになっていればいいじゃないか。何、最初は困惑させることも多いかもしれないが、そのうち慣れる。細かいことは気にするな」
「細かくはないが?!」
色々言いたいことはあるが、一番ツッコミたいところだけ吐き出す。『好き』の種類の違いは全く細かいことだと思わない。
「鶯丸、お前まさか、花吐き病の完治条件を勘違いしていたとかはないよな?」
「勘違いも何も、患者が想い人と両想いになること、だろう」
「そうだ。両想い、だぞ。恋愛感情の意味で、だ」
「くどい。承知しているに決まっているだろう」
まさかこいつ、「好き」の意味を取り違えてやしないかと念を押すが、きちんと理解しているようでますます混乱する。こんなの、本当にお互い、恋愛感情で両想いなのだと言わんばかりじゃないか。
「大包平、お前は俺に恋愛感情がないとでも思っていたのか?」
先程からこちらの背中に手を添えたまま、ずいとこちらに顔を寄せてくる。
「俺としては、お前を観察しているだけで楽しいし、満たされていたからな。わざわざ言う必要もないと思っていたが、流石にお前が誰かと恋仲になっているところまで観察したくはない。俺にだって人並みの悋気はある。なら、ここで動くしかないだろう」
こちらの目をまっすぐ射抜いて語りかけるその表情は真剣そのもので、何かの間違いなのではと思いたいのに思わせてくれない。お前が口車に乗ってくれて助かったぞと囁く男の雰囲気に飲まれて、ふっと柔らかいものが唇に触れたのに気づいたのも、その顔が離れてからだった。
「だ、だってお前……そんな素振り一度も……」
「見せなかった、か? そうか、俺はわかりにくいか。お前のことが好きだと、態度で表していたつもりだが」
いや、好かれているとは思っていた。ただそれが、こういう意味だとは到底思えなかっただけで。
だってそうだろう。普通、好きになったら見ているだけで満足なんて、心の底から思えるはずはない。好きになったら、あわよくば振り向いてほしいし、そういうスキンシップもしたい。少なくとも俺はそう思っていた。俺はそれを諦めて、隠していただけだ。
「まあ、なら、今後はわかりやすくなるよう努力しよう。好きだぞ、大包平」
今はこいびと同士なわけだしな。
そう言って、再び顔を寄せる男の口づけを受けながら、俺はとんでもない刀に惚れていたのだと呆然としていた。