その刻印こそが

 愛しい相手を腕の中に抱き込み、思う存分愛撫し可愛がり、体の奥の奥まで繋がり合う。これほど幸せを感じる瞬間もない。
 事後の甘く気怠い空気の中、まだ熱を灯したままの肌を撫で合い、戯れに口付け合うのも心地がいい。
 そんな砂糖菓子のように甘く幸せなこいびと同士のじゃれ合いの中で、ひとつだけ、どうしても引っかかることがあった。

 

 長谷部の手が喉元からするりと撫で落ちて、胸のあたりに触れる。そして、左胸を──左胸の魔王の刻印を、指の先でなぞる。ほぅ、とため息をついて、その印に頬を押し付けるように抱きついた。
 僅かに癖のある、その艷やかな髪に指を通すように頭を撫でながら、またか、と苦い思いを飲み下す。
 どうやら長谷部は、この魔王の刻印が随分とお気に入りのようで、毎回抱き合う時にはこうやって愛おしげに頬を擦り付ける。その度にこちらは、何ともいえない苦い思いを飲み下すことになる。
 長谷部は表向き、あの魔王に対して恨んでいるような態度を取る。実際、恨んでいるのだろう。捨てられたのだと憎んでいるのだろう。
 けれど、少しでも長谷部のことを知るものならば、その憎しみは愛情の裏返しなのだということは気づけてしまう。そうでもなければ、あそこまで執拗に捨てられたことにこだわって、何百年と恨み言を言うわけがないだろう。捨てられたことをいつまでも憎まずにはいられないくらい、愛していたのだろうから。
 その長谷部が、魔王の刻印を好み、愛でて離さない。……それが、たまにとてつもなく不安になる。
 まさかとは思うが、長谷部ですらも、僕を通して魔王の影を追っているだけなのではないか、と。
 人間が、僕のことを魔王の刀だと扱うのはそれでいい。完全にそれを受け入れるには抵抗があるが、『魔王の刀』という物語は、既に僕を形作る物語として核に近い部分にあるものだ。今さらそれを否定することはできない。
 けれど、長谷部にまで──こいびとにまで、魔王の写し身として見られているとすれば。それはどうしようもなく耐え難い。他の誰にそう見られようとも今更構わないが、長谷部だけは、僕だけを見て欲しかった。

 

 今日もまたお互い熱を交わし、どこか浮ついた気分のまま、お互いの肌に触れ合う。
 頬に手を寄せ口づけをすれば、するりと首の後ろに手が回される。唇が触れ合うだけのキスを何回か楽しんで、するりと長谷部の頭が首筋に、胸元に下がっていく。
 そして、また、胸に刻まれた刻印に、愛おしげに口付けられる。先程までの浮ついた幸福感が、すっと冷めていくのを感じた。
「……ねえ、長谷部。貴方、それ好きですよね」
「うん?」
 柔らかく温かい唇を何度も押し当てながら、まだふわふわとしたままの声色で長谷部が答える。それをやめさせるために両手で顎を支え、顔をこちらに向けさせた。
「この魔王の刻印が、そんなに好きですか?」
 きっと、今の自分の表情は固くなっているだろう。この問いかけをするのにも、随分と勇気がいった。けれど、これ以上もやもやとした不安を抱えるのにも限度があった。
 長谷部は一瞬、意表を突かれたようなぽかんとした表情を浮かべた。けれど、すぐにとろんと蕩けたような笑顔になる。まるで愛おしくて仕方ないといった、眦の下がった緩んだ笑顔で。
「ああ、好きだ。だって、これを見ればお前だってすぐわかるだろう」
「……どういう意味ですか?」
 その一言では意図が読み取れず、重ねて問いかける。
「これは、お前に刻まれた、お前だけを表す印だろう。お前にとっては呪いにも似た刻印なんだろうが、これがあったからこそ今もお前は『宗三左文字』でいられる。これが愛しくないわけないだろう?」
 その言葉に、はっと息が詰まる思いがした。
 この身は一度と言わず、何度も焼けた身だ。本来ならば焼けると同時にこの身も、来歴──物語も、全て消えて存在すらなかったことになってもおかしくはなかった。
 それがわざわざ再刃され、こうして付喪神として現代に呼ばれるほどに保存されてこれたのは、ひとえに肌に焼き付いた、魔王が刻んだこの象嵌があったからだ。
「お前がこの刻印を疎ましく思っているのは知ってる。その気持ちも当然なものなんだろう。だが、この印があるからこそ今もお前と睦み合っていられる。それに、あの男は好かんが、思い入れのある刀に名を刻むのは人間によくあることだろう? それだけお前の価値が高いということじゃないか」
「それは……そうなんでしょうけど」
 こちらの手をするりと抜けて、また長谷部は刻印に口付ける。心底愛おしいものに対するように。
「この刻印はお前そのものだろう。だから好きだ」
 長谷部の言い分はわかった。その言葉も、意味も、理解できる。
 別にこの刻印を通して、魔王の影を追っていたわけではないのは、理解できた。
 長谷部が純粋に僕のことを想ってくれていること。その事自体は、じわりと胸の中に嬉しさを伝えてくる。けれど、頭の片隅でどうしても、この刻印を素直に受け入れることができない心が、喜びに反して拭いきれない受け入れがたさを掻き立てる。
「あまりこれを愛でるのも、程々にしてくれませんか」
「なんでだ」
 胸板に唇を押し当てていた長谷部が顔を上げて、こちらの表情を伺う。きっと今の自分は、あまり愉快な顔はできていないんだろうという自覚があった。
 こちらの表情から何を感じ取ったか、長谷部はちょっと困ったような、苦笑するような表情を浮かべた。
「……すまん、お前にとっては不快だったか?」
「不快、とまではいかないんですけど。やはり少々複雑な気分になるので」
「そうか」
 なら程々にしておく、と名残惜しそうに印をひと撫でした長谷部は、すっとこちらの顔に顔を寄せて、そのまま唇を合わせた。

1