織豊の時代、本能寺。どうにも気分の落ちる時代への出撃から帰ってきて、剥がれた刀装の補充をしようと保管庫へ向かっていると、唐突に声がかけられた。
「長谷部は不動と話すと、ほっとした顔をするよな」
「……何だいきなり」
声のした方に顔だけ向けると、廊下の影に薬研が立っていた。
一緒に出陣していた面子だが、多少土煙で汚れた程度だったので、さっさと自室に向かっていたはずだ。疑問に思って顔を見ると、薬研は面白げに目を細めてこちらを見やっていた。
その表情に漠然と嫌な予感がして、反応するんじゃなかったと後悔する。
「さっきの不動との話さ。言う言葉はどれも飾り気なく辛辣だが、生き生きとしていた。嬉しかったんだろう、不動の反応が」
何も言い返す気になれず、ただできるだけ表情を殺して薬研を見つめる。こちらの殺した感情などわかっているといいたげな表情のまま、薬研は言葉を続けた。
「あんたは信長さんを貶しながら、他人にあの人が貶されている所は見たくないんだろう? 俺たちみたいな縁のある相手には、特に。だから不動の、まっすぐ信長さんのことを慕う姿勢を見て安心するんだ。逆に、一緒に焼けておきながら信長さんのことを皮肉げに見る宗三のことが気にくわない。恨みながらも愛し続ける。情が深いとでも言えばいいのか……まったく厄介な御仁だよ、あんたは」
呆れたような口調に反して、その声色はやさしい。
言われた内容は、何も言い返すことができないほど的を射ていた。自分でも自覚はしている。情が深いかどうかは知らないが、あの男に下げ渡されたことを恨みながら、恨むということはそれだけあの男を慕っているのだとわかっている。
いいひとだったら、いいだけのひとだったら、忘れてしまおうと思えた。大事な宝物が壊れないように、誰にも、自分にも手の届かない場所へ深くしまっておこうと。あの男の記憶は、宝物にするには傷が深くて憎しみにするには大切すぎる。
「だから何だ、お前には関係ないだろう」
吐き捨てるように返すと、薬研はひょいと肩をすくめた。
「ま、確かに俺っちには関係ねえ。ただまあ、ちょいと見ていられなくてな。ちょっとした娑婆心だ、悪く思わねえでくれ」
「……?」
言葉だけを聞けば確かに自分にかけられた言葉のはずなのに、薬研は視線を横にそらしていて目が合わない。怪訝に思いながらも、それ以上の会話をする気もないのでそのまま通り過ぎた。
ぎっ、ぎっと板張りの廊下を踏みしめる音が遠ざかった後で、薬研は口を開いた。
「……で、あんたが長谷部に睨まれる理由は理解できたか?」
「……ええ。まったく、ほんとに、あの男は。面倒くさいにもほどがある」
すっと、薬研のもたれていた柱の隣のふすまが開き、そこから桃色の髪を垂らした痩身の男が顔を出す。一目でわかるほどにうんざりした顔をしたその男は、肺の空気をすべて吐き出すような深いため息をついた。
「あれが僕をよく思わない理由なんて、僕が魔王のお気に入りだったからだとしか思ってませんでしたよ。単に手放されることのない身の上をうらやんで嫉妬していたのかと。まさかそこまで魔王に惚れこんでいたとはね。全く、面倒な」
「まあ、その理由も間違っちゃいねえと思うが」
仕方ないなといわんばかりに苦笑する薬研の隣で、宗三は静かに首を振る。
「自分はどうとでも貶すけど、他人に貶されるのは許せないとか、どういう愛情ですか。ひねくれすぎでしょう。直臣でもない奴に下げ渡されたって恨み続けるくらいなら、いっそ憎み切ってやればいいのに。
大体あれの慕い方は重たすぎるんですよ。僕たちの主が変わることなど当たり前のことなのに、代々の主一人一人に心の底まで捧げるような仕え方をして。主がいなくなるたび傷ついて。馬鹿でしょう。本当に、面倒くさい」
「だが、好きなんだろ?」
「……不本意ですがね」
顔にかかる前髪を鬱陶しそうに掻き上げて、また深い深いため息をつく。
「とにかく、あれに対するとっかかりは見えてきました。感謝しますよ、薬研」
「そりゃ僥倖。上手くいくかどうかは宗三次第だ、頑張んな」
「それで、あなたは何で僕に協力してくれるんです?」
うんざりしたように目を伏せていた宗三が、ちらと薬研に目線だけ向ける。薬研も同じように目線だけで見返して、にやりと笑ってみせた。
「うん? 昔馴染みたちがうまくいくよう取り計らうのに、理由が必要か?」
「貴方、そんなに世話焼きでもないでしょう。むしろ、こういうことは時間が解決するだろうとか言って、放置する方じゃないですか」
「ひでえ評価だな。間違っちゃないが」
よっ、と軽く勢いをつけて、寄りかかっていた柱から体を起こす。手を頭の後ろで組んで、一回だけ宗三を見て笑い、くるりと長谷部の消えていった方向とは逆の方へ歩き出した。
「言っただろ、ちょっとした娑婆心だ。深い意味はねえ。ギスギスしてるよりか仲良くしてたほうがよっぽどいいだろ。上手くいくことを祈ってるぜ」