ひとよりもひとらしい - 2/2

「よう不動。今日は飲んでねえのか? 珍しいな」
 がらりと開いた障子に、不動は目を向ける。その目はいつものように澱んではいないし、頬に赤みも差してはいない。机上にはいつもの甘酒ではなく、ほのかに湯気の立つ湯飲みが置かれていた。
「ああ、お帰り。遅かったね。お前、俺より先に引っ込んでなかったっけ?」
「まあ、ちょっと野暮用でな」
 薬研はよっくらしょと中年じみた声を出しながら、不動の向かいに座り込む。不動は棚からもう一つ湯飲みを用意して、薬研の前に用意し急須から茶を注いだ。
「俺一人で飲んでるつもりだったから、茶菓子は出してないんだ。ごめんね」
「いや気にすんな。茶頂くぜ」
 薬研は立膝のまま、ずず、と行儀悪く音を立てて茶をすすり、ほっとしたように息をつく。向かいの不動も同じように、こちらは背筋を伸ばし行儀よく茶を含むと、湯飲みを置いた。
「……で、何か俺に用なの?」
 すました顔の不動に探るような視線を向けられた薬研は、どこか面白そうな表情を浮かべた。
「いや? ま、今日は出陣先が出陣先だったからな。どうしてるかと思ってよ」
「……ふうん。薬研って、そういうことに気を回すタイプじゃなかったと思うけど」
 探るような視線が訝しげな視線に変化したが、薬研の表情は変わらなかった。
「お前も宗三もひでえこと言うよな。俺だって身内を気遣う心は持ってるんだぜ?」
「宗三のところにも行ってきたんだ。長谷部との事でも話しに行った?」
「そんなところだ。長谷部はわかりやすくていいんだが、お前はイマイチよくわからなくてな。乗り掛かった舟だ、お前の話も聞かせてくれや」
 薬研の表情は変わらず面白げだが、不動を見つめる視線は真剣なものだった。それに気づいた不動は、すまし顔を崩し、うつむき目を伏せる。
「……あいつのことは理解できない。けど、いてくれてよかったと思ってる」
「その心は?」
「……宗三はああだし、お前はこうだろ。今のところ、この戦に参加してる奴で、俺の知ってる刀はお前らだけだ。お前らじゃ、俺と信長さまの話なんてしたってかみ合いっこない。だから、あいつと話せてよかった。俺以外にも、信長さまのことを悼むやつがいるってわかって、よかった」
「悼む、ねぇ……言っちゃ何だが、長谷部の言動は信長さんを悼んでるようには見えなかったぞ」
「でも、お前だってわかったろ? 多分あれが、長谷部なりの愛し方なんだろうな」
 薬研はわかったようなわからないような、微妙な顔で肩をすくめる。
 まだ人肌程度に温かい湯呑みを包む不動の指に、力が入りぴくりと動く。何を見るでもなくぼうっと水面に向けられた視線は、迷子の子どものように頼りなさげに揺れていた。
「俺は忘れたくないし、忘れられない。でもあいつは忘れたがってる」
「忘れたがってる?」
「あいつが、信長様に愛されたって事実だよ」
 緑色の水面に向けられた瞳は、感情の揺れを表すようにまた揺らいでいる。
「おかしなこと言うと思うだろ? でもあれは忘れたがってる。信長さまに愛されたことを、忘れたがってるんだ。……俺には、理解できないよ。理解はできないけど……でも、そういう道も、あるんだなって」
 訥々と語る不動は、ときおり泣きそうにくしゃっと顔を歪める。誤魔化すように、両手で抱えていた茶を啜った。
 そんな不動の様子を見て、ぽつりと薬研が零す。
「……そうか。お前にとっても、長谷部は救いなんだな」
「そうだね。あの頃一緒にいたのはお前と宗三だったけど、どうしてかな。ここで初めて会ったあいつのほうが、見ていてほっとするんだ」
 頷く不動に、さもありなんと薬研が首を傾ける。
「そりゃ、俺も宗三も、あの人に対する思い入れは、お前らに比べれば薄いからな」
「……そうなの?」
 きょとんとして薬研を見つめる不動に、なんてことない声で説明をする。
「俺に関しちゃ見ての通りだ。宗三もな、一見魔王に囚われてるように見えるし、事実そうでもあるんだが、信長さん一人というより、その後のあれこれも含めて囚われてるからな。お前や長谷部みたいな濃さはねえよ。そういう意味で、お前と長谷部は同類なんだろうな」
「俺と長谷部が、同類か」
「ま、長谷部の方には苦い顔されそうだがな」
 そうまとめて笑い飛ばし、薬研もまた茶を一気に飲み干す。
「俺は信長様を愛しているし、慕い続けているよ。だから、ああも貶す長谷部とは、話は一生合いそうにない。けれど、気は合いそうだ」
 そう言う不動の顔は、薬研が入ってきたときよりは柔らかくなっていた。
「そりゃよかった。旧知の仲同士がギスギスしてんのは、どうにも好きじゃねえからな」
「ほんとにそう思ってるのかよ?」
「ほんと、お前と宗三は俺っちを何だと思ってるんだ?」
 相変わらず疑り深い不動にさすがに顔を顰めて、薬研は立ち上がる。
「茶、ご馳走さん。普段から甘酒はほどほどにしとけよ」
「それは無理」
 ひらひらと手を振って立ち去る薬研に、不動も手を振り返した。

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