一時間前のさよなら - 1/3

 戦争が終わった。
 終わりなどないかのように思えていた歴史遡行軍との戦いは、ある日唐突に終わりを告げた。
 よって、各地に存在していた本丸もすべて解体となり、顕現していた刀はすべてこの月の末をもって自動的に刀解処分となる。この本丸の審神者は、ヒトの身体を持って過ごす最後の機会をゆっくり過ごしてほしいと言い残し、一足先に本丸を去った。
 最後は折れるまで戦いたいと本気の手合わせをして折れたもの、ヒトの身体より鋼の体を選んで眠りについたものなど一部の例外こそあれど、大半の刀は戦も内番もない、完全な自由を噛みしめていた。今日はその最終日である。

 

「宗三兄さま、なぜここにいるの」
「……お小夜」
 自室でぼうっと、何をするでもなくただ呆けていた背に声をかけられて、首だけで振り向く。そこには余計な荷を処分してきたはずの小夜が立っていた。
「なぜって、逆になんでそんなことを聞くんです。僕がここにいてはいけませんか」
「いけないことはないけれど……あなたには他に行きたい場所があるでしょう」
 小夜はそのまま、障子を後手に閉めて、自分の横をすり抜けて、私物入れの中をあさりながら諭すような声をかけてくる。
「長谷部のところ、行かなくていいの」
「……なんで僕が、あれのところに行かなくてはいけないんですか」
 言われると思っていたが、言われたくはなかったことを言われて、すねた声が漏れる。他の刀相手ならともかく、さすがに兄弟刀相手に態度を取り繕うつもりはなかった。
「最期の日は、誰だって愛しい相手と迎えたいものでしょう」
「愛しくなんて……何を馬鹿な……」
 取り繕うつもりはないと言っても、そこはさすがに認めたくなくて口を濁す。しかし、自分の本心も、自分が口では否定しておきながら、ちゃんと自覚はしていることも、どちらも理解されているのだろうとは思う。
 案の定、小夜は手を止めて、こちらに目を向けた。
「兄さま、重ねて言うけど、最期なんだ。付喪神としての存在が消えるわけではないけれど、この本丸で過ごした、今ここにいる自分は最期を迎えるんだ。後悔を残して消えるつもり?」
「どうせ、後悔も一緒に消えるんでしょう? ならいいじゃありませんか。最初から最期まで、何もないままで」
 わかっている。最期くらい素直になって、玉砕するなり報われるなり、結果を出して最大の心残りを片付けて、すっきりとした気持ちで還ればいい。
「……どうしてそう、依怙地なの」
「……だって」
 身内の気安さで、刀種の違いのせいで自分より随分とちいさな相手に、まるで自分のほうが幼いような拙いことばが出る。
「もし……もし、拒絶をされたら。あの子に向けた僕の愛情が、まるで無意味なものだったとしたら。僕自身だけが持ち得たものは、本当になにもなかったのだと思い知ってしまう」
 怖いのだ。この本丸に顕現してからというもの、きちんと実用刀として扱ってくれた主には感謝している。そのおかげで、未だ濃く残る魔王の影響も随分と色あせていた。
 それでもなお、影は残る。宗三左文字という刀剣に染み付いた、飾られるもの、愛でられるもの、刀剣としてそのものには価値などなく、ただ逸話という付加価値でのみ囲われる籠の鳥。自分自身というものが空っぽなその感覚。
 それを埋めてくれたのが、あの子への愛情だった。
 顕現したてで普通の仕草すらおぼつかないくせに、必死に自分は役に立つのだと主に主張するいじらしい姿。ようやく特のついた頃、初めて取った誉に桜を一面に咲かせて得意げな顔をするいとけなさ。どんどん後輩が増える中、柄にもなく世話を焼こうとして、言葉足らずで逆にひと悶着起こして隠れて落ち込んでいる姿。そんなものを視界の端に捉えるたび、空虚だった自分の中身に、じわりじわりと温かいものが満ちていくのを感じていた。
 長い、長い間過ごしたこの時間。その温かみは、溢れてしまいそうなくらいにいっぱいに胸の虚を満たしてくれた。
「……それだけで、僕は十分なんですよ」
 小夜は黙して、ぽつりぽつりと溢す、要領を得なかったであろう僕の一部始終を聞いていてくれた。
「……僕はあなたと違う。口もそれほど上手くない。だから、的外れかもしれないけれど」
 目当てのものは見つかったのか、小さな風呂敷包みを持って、小夜は立ち上がりざまに僕に声をかける。
「宗三兄さまは、望んで籠の中に囚われているように思えます。手の届く範囲に、満たしてくれるものがあれば満足なのだと。……本当に、それで十分なんですか? 最期くらい、籠の外に……自由に、自分から欲しがりたくはありませんか?」
「……自由、か……それが何だか、僕にはわからない。縛り守ってくれるものがないのは、怖い」
「簡単なことです。外に出ればいい。籠の扉は、もうとっくに開いていますから。最期くらい、知らない世界に出る勇気を出して下さい。最期なんですから」
「まるで、年少を諭すようなことを言いますね」
 お小夜が立ち上がり、自分が座り込んでいるせいで、横を向くだけで視線が合う。わずかに向こうの方が視線が高いくらいでさえあって、本当に目上から説法を食らっているような気持ちになった。
「……すみません、つい。細川の頃の歌仙兼定を思い出しました」
「僕はあれと同程度ですか」
 一応恰好だけでも、気分を害したそぶりを見せる。フリだけだ。それはお小夜も重々わかっていて、僕のその態度を見ても、眉一つ動かないどころか、うっすら笑ってさえみせた。
「あの子の方が可愛いよ、僕にとってはね。……きっと長谷部にとっても、宗三兄さまはそうだと思うから。だから、会いに行ってほしい。兄さまのためにも、長谷部のためにも」
「また、そう、根拠もなく焚きつける。どうして長谷部のためにもだなんて言えるんです」
「言うつもりはないけれど、根拠がないわけでもないよ」
 満足そうな空気を出して、小夜は部屋の外へと足を向ける。恐らく、姿を見るのは最期になるであろう兄弟刀をせめて見送ろうと、体をよじって背を見つめた。
 障子に手をかけ、一度だけ振り返る。表情は、逆光に隠れて見ることができなかった。
「僕らはそれぞれ、黒い澱みの中にある刀だった。だからこそ、一筋見えた光に向けて歩き出すべきだと思う」

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