一時間前のさよなら - 3/3

 日本号の言葉通りに、審神者の部屋のある離れまでやってきた。
 主を失った離れはとても静かで、ここだけ一足先に朽ちていきそうな風情すら感じる。咲き誇る桜もあいまって、自分ですら寂寥感を感じてしまうほどの侘しさがあった。
 こんなところでひとり飲んでいるとしたら、それこそ長谷部らしいとも思う。そして同時に、そういうところが放っておけないのだとも思う。
 ざくざくと桜の花びらの上を踏みならし、直接渡りまで歩いていく。遠目からでもわかる、武装を外した戦衣装のまま、なにか冊子を懐かしむように読み耽る長谷部の姿があった。
「長谷部」
 そうとう集中していたのか、それともぼんやりしていたのか。足音にも気づかず顔を落としていた長谷部に声をかけると、ばっと驚いたように顔があげられる。
「……そ、宗三か?」
「他の誰に見えますか? 管狐が化けているとでも?」
 ぽかんとした顔でこちらを見上げていたかと思えば、慌てて開いていた冊子を閉じる。不意をつかれた恥ずかしさか、頬を赤らめて視線をそらされた。
「お前がこんな場所に来るなんて珍しいな。用があるのなら俺は退散する」
「用ならありますよ。あなたに会いに来たんです」
「……おれ、に?」
 信じられないといった様子で、ぎこちない返事が返ってくる。顔は逸らされたままで、その表情は伺えない。小さく何か呟かれたような気がして聞き返したが、何でもないと誤魔化された。
「なんだ、とうとう文句の一つでも言いに来たか。ずっと俺のことが気に入らなかったんだろう、理由までは知らんがな」
「それはあなたでしょう。ひとの顔を見るたび妙にぴりぴりして。そんなに僕のことが嫌いですか」
「……こちらのことを嫌いな相手を、好きでいられるわけがないだろう」
「だからそれはそっちが……」
 違う、こんな会話をしにきたんじゃない。どうにも噛み合わず、言いたいことが言えない歯がゆさで言葉尻がしぼんでいく。ふたりの間に気まずい沈黙が降りた。
「……そんなことを言いに来たんなら、付き合うだけ時間の無駄だな。部屋に戻らせてもらう」
 顔を伏せたままで腰を浮かしかけた長谷部の腕を、反射的に捕まえる。びくっと相手の体が震え、顔があげられた。
 いつも強気に吊り上がっている眉がくたりと下がり、藤の色をうつした瞳は水分でゆるんでいる。おそらく初めて見るであろう長谷部の「泣きそうな顔」に、言葉を失い固まった。
 今、自分がどんな顔をしているのか、こちらの反応を見て察したのだろう。とたんに目元を真っ赤にさせて、顔を背けて自由な方の手で顔を隠す。片腕は相変わらず僕に掴まれたままで、その場から動けないままだ。
「長谷部」
 声をかける。返事は返ってこない。
「長谷部、なんでそんな顔をするんです」
 長谷部は黙り込んだままだ。
「……そういう、自分が言いたくないことがあると黙り込む癖、あなたの悪いとこですよ」
「うるさい。よかったな、気に食わない男の情けない顔が拝めて。冥土の土産くらいにはなるだろうさ」
「そんなこと誰が言いました? 何があなたをそんな顔にさせるんです」
 言葉だけをとらえればいつもの強気だが、かすかに声が揺れている。捉えた腕を握る手に、力が籠もった。
「……僕は、自惚れてもいいんですか?」
 顔をそらされたまま、黙されたまま、雰囲気だけでどういうことだと問いかけられる。縁に座り込んでいる長谷部と目の高さを合わせるようにしゃがみこんで、空いている手で顔を隠す手ごと顔に触れる。
「あなたがそうなったのは、僕と会話してからですよね。よりにもよって最期の日に、僕とこんな会話をして、泣くほど傷つくくらいには……僕のことが好ましいと?」
「……泣いてない」
 かすかに揺れるどころではなく、今度の声は間違いなく湿っていた。それは長谷部自身にもわかったのか、やけくそのように言葉が吐き出された。
「無様だろ、笑えよ。俺は自分を嫌っているような奴を、最期まで嫌いきれず慕い続けるような軟弱者だ。そいつが最期に会いに来てくれたからって浮かれて、馬鹿を見て、惨めな姿を晒してる。気持ち悪いだろ? 笑えよ、笑ってくれよ……」
 言いながらもぼろぼろと手の隙間から涙がこぼれ、しゃくりあげる声まで混ざる。今までに一度も見たことがない長谷部の姿に、愕然とした。ぐいと顔を隠す手を掴んで引き剥がし、視線を合わせる。目元と鼻先を赤くして、こどものように泣きじゃくっていた。
 たまらずに、頭を胸の中に抱きかかえる。
「なっ、なに、を」
「泣かせるなって、言われたんですがねえ……」
 会いに来てよかった、と心の底から思った。今日このときこの瞬間、会いに来なければ、この子はこんな気持ちを抱えたままで、そのまま還ってしまうところだったのだ。こんなに愛しい姿も見せてくれないまま。
「僕があなたのことを嫌いだなんて、一体いつ言いました?」
「……言われなくてもわかるだろ、俺にだけ妙に距離を取るんだから。お前、嫌いな相手は存在を抹消するタイプだろ」
「それはそうですけど。あなたのことが嫌いなら、わざわざあなたにわかるような距離の取り方なんかしませんよ。僕が相手に気づかれるような下手を踏むとでも?」
「……」
 しゃくりあげる声は止まったが、まだ泣いているらしい。胸にばさばさとまつげが触れる感触と、雫が垂れる冷たい感覚がする。落ち着かせるように、抱え込んだ頭を撫でた。
「先に言われちゃいましたけどね。僕も好きですよ、あなたのこと」
「……ウソだろ?」
「なんでこの期に及んで嘘なんてつかなきゃいけないんですか。わざわざ最期の日に会いに来るくらいには、誤解を解きたいと籠から出てくるくらいには、あなたのことが好きですよ」
「うそだろ、だって、そんな、あまりに都合がいい」
 腕の中の体が、また小さく震えている。抱きかかえていた頭をそっと離して顔を見合わせ、涙でぐしゃぐしゃに濡れたその唇へキスをした。
「これでも信じられません? それとも、信じたくない?」
 泣いたせいだけではなく顔を真っ赤にして動かない長谷部に、何回も触れるだけのキスをする。濡れて冷たくなっていた長谷部の唇に、こちらの熱が移ってあたたかさを感じ始めたころに、ようやく向こうも唇をついばみ返してきた。
「もっと、最初から言っておけばよかった。最初から、ずっと、好きでした」
「お、れも……俺も、お前のことが、ずっと、好きだった。好きだ、宗三」
 もう一度唇を合わせる。伺うように舌を伸ばせば、待ち望んでいたように受け入れられ舌を絡ませあう。お互い今までを表すかのようなたどたどしくも求めあう拙い深い交接をして、名残惜し気に唇を離した。
 涙の乾いた顔と向かい合い、笑ってしまう。相手もすべての気が抜けたように、泣き笑いのような顔を浮かべていた。
「ずいぶんと遠回りしましたね、僕たち」
「ほんとにな。今までの時間は何だったんだ」
 顕現してから、こんなに穏やかに顔を合わせた時間などなかった。今までずっと同じ気持ちだったというのに、ようやく笑いあえたのが、すべてが終わる半刻ほど前でしかないということが、たまらなく口惜しく思えてしまう。最初は想いを告げるつもりすらなかったことを思うと、ずいぶん欲深だとも思うが。
 頬に触れていた手を離して立ち上がり、改めて長谷部の隣に腰掛ける。縁に置かれた手に手を重ねて握り、指先を絡めた。
「その分、お話ししましょうか。今までのことを、たくさん」

 

 こちらが長谷部を見ていた話をすれば、そんなところまで見ていたのかと恥ずかしがられ、あちらが僕の話をすれば、いつの間にそんなところを見ていたのかと驚かされ、僕たちはお互いに気づかれないよう、ずっとお互いを見続けていたのだと再確認させられた。
 話の種はつきない。なにせ数年分だ。今まで言えなかったこと。長谷部が自分の口下手さに落ち込んでいた時に掛けたかった言葉やら、主の役に立てたと素直にはしゃぐ姿の可愛らしさだとか、卒なく近づいていつの間にか親友面をしていた燭台切に対する嫉妬と文句だとか、そんなものがいくらでも出てくる。向こうも、いつの間にか目が離せなくなっていたのだとか、近づこうにもどう近づけばよいのかわからずついきつい態度に出てしまっていただとか、そのたびに旧知のものに話を聞いてもらっていただとか、可愛いことを言ってくれた。
 今までの分を埋めるように、話ながらも途中途中でキスをして、照れる長谷部の跳ね気味の硬い髪を撫でる。そんな僕をしょうがないなと笑いながら、またふたりで話すのだ。今までの無為な時間が何だったのかというほどに、時間はあっという間に過ぎていった。
「……もうそろそろじゃないのか」
 長谷部がそう言ったとたん、本殿のほうから鐘の音が一つ響いた。終わりの合図だ。
 あと五分もすれば、僕らは全員顕現を解かれ、物言わぬ鋼の身に戻る。
「ねえ長谷部。最後の最期になっちゃいましたけど、僕はこの本丸に来られて、あなたに会えて本当によかったですよ」
 ずっと絡めていた手は、もう皮膚の境目すらわからないほどおなじくらいの熱を持っている。この手のように、全身を絡めてみたかった。
「そう、だな。俺もよかった。主は申し分のないよい方だったし、お前とも……お前と、こうなれて、よかった。それが最期でも」
 長谷部はすっと体から力を抜いて、僕の肩に体を預けてくる。僕も同じように、長谷部に寄り掛かるように寄り添った。
「願わくば……同じところに、行きたいなぁ……」
 どことなく幼い調子で、ぼんやりと長谷部がつぶやく。それに対してどう答えるか少しだけ考えて、リアリストの自分を捨てた。
「きっと同じ場所ですよ。僕らは同じ存在なんですから」
「そうか、そうだな……」
 その答えに満足したように、長谷部は目を閉じる。それを見届けて、自分もだんだんと薄らいでいく意識に任せて目を閉じた。

 

 かしゃん、と重たいものが落ちる音がして、そこには二口の刀が残された。

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