迷い犬と拾い主 - 2/5

 長谷部は自分でいうだけあって、家事は完璧だった。
 自覚はあるが、男三兄弟で育ち、世話好きな兄弟もいたせいで自分一人ではかなり散らかっていた部屋を、長谷部は数日で入居した当初のようなきれいな状態まで片付けた。整理をするのに棚がほしいといくつかカラーボックスを買わされたが、十分お釣りが来る。
 料理だって、米を炊くくらいしかせずにいた食生活をあっという間に改善してみせた。その歳の男ならまだガッツリ食いたいだろうと、それだと中食はコスパが悪いとこちらから月に食費を決めてせがんで、買ってきた食材で朝と夜どころか弁当まで作ってみせた。おかげで今まで使っていた分の金が少し浮いている。
 こうなってくると、ますますこいつの素性が謎になってくる。
 頭も悪くない、一度レポートに詰まっていた時に覗き込まれて、専門外だからと言いながらも指摘してきた内容に助けられたこともあった。確実に大学は出てるレベルだ。
 出会ったときこそ酔いつぶれてはいたが、精神的に病んでいる様子もない。そうそう大笑いこそしないが、普通に笑みは浮かべるし軽口も叩く。
「お前、ヒモに逃げられたホストか何かなのか?」
 あまりにも素性がわからなくてそう聞いてみたら、珍しく腹を抱えて笑ったあと、ふと遠い目をして呟かれた。
「……いや、案外、似たようなもんかもしれんな」

 

 その日の晩、酒に誘われた。
「たまには飲みたい気分なんだ、いいだろ? お前も成人してるなら付き合ってくれよ」
「元は俺の金なんだが」
「ちゃんと食費として預かった分から出してる」
「……まあ、いいが」
 いつの間に買い込んだのやら、500mlの缶チューハイやらビールやらを乱雑に並べられる。男二人の自宅飲みでグラスなんかいらんだろうと、それぞれ直接缶に口を付けた。
 ごくごくと、度数が強いことがウリの缶チューハイをジュースのように飲んでいる姿を見て、出会ったときの酔いつぶれた姿が重なる。
 半目で睨むこちらに気づいた長谷部は、半分くらい空にした缶を軽く振りながら笑ってみせた。
「俺は元々は強いほうなんだよ。あの日が特殊だっただけだ」
「ならいいんだがな。また介抱するのはごめんだ」
「……酔いつぶれて、忘れたかったんだよ」
 ふいに、笑っていた長谷部の顔に陰がさす。景気づけか、缶の残りも飲み干して、ぽつぽつと語り始めた。
「お前、俺のことヒモに逃げられただの言っただろ。あれ、半分は当たってる。貢いでたのは俺の方だけどな」
 つまみとして買ってきていたさきいかをもぐもぐしながら、とりあえず耳を傾けた。真剣に相談に乗って欲しいのならそれなりの態度を取るが、どうも長谷部からは酒の席の話として軽く流してほしそうな気配を感じたのだ。
「昔から俺は男の趣味が悪いと、散々馬鹿に……いや、注意されてたんだけどな。どうにも治らん。惚れた男の家に転がり込んで、手持ちの金も全部貢いで、飽きて捨てられて着のまま放り出された。あいつに振り回されて仕事も辞めざるをえなくなっていたから、ほんとに着の身着のままだ。そこで有り金全部で飲んだくれて倒れていたところで、お前に拾われたってわけさ」
「……男?」
 いろいろ突っ込みどころはあった気がするが、とりあえずまず順番に気になったところを聞いていく。
「ああ、バイなんだよ。付き合うのは男の方が多かったけどな。身近に下手な女より美人な男がいると、どうも女相手の美的感覚が狂う。わざわざ恩人に手を出すようなことはしないから安心してくれ」
「別に、そんな心配はしてないが」
「そうか? 多少は心配したほうがいいと思うぞ。お前、結構イケメンだしな」
 けたけたと笑う長谷部にさすがに半身引くと、冗談だとまた笑われた。
 今日はずっとネジの外れたように笑っているが、それこそ無理をして笑っているような、どうにも痛々しい笑い方で見ていて苦々しい。舌に残るほのかな苦みはアルコールのせいだけではないはずだ。
「お前だって、友人はいたんじゃないのか。そいつには頼れなかったのか」
 先ほどからちらちらと存在を匂わせる、その相手を指摘する。すると無理やり笑っていた笑顔の仮面がついにほころび、その下から傷ついたような、自嘲するような、なんとも苦い表情が出てきた。
「……そいつにな、言われたんだよ。そんなに支配されたいなら自分にしておけと。自分なら一生、何があっても手放さないと」
「受けなかったのか、その言葉」
 聞くまでもないことだとは思ったが、聞いてしまう。その告白を受けてしまえば、こんなところでほとんど他人みたいな人間と飲んだくれてないで、幸せに暮らせていたんじゃないのか。
「……俺は、つくづく難儀な人間だと思う」
 俺の言葉に、かろうじて口の端に残っていた笑顔すら消えて、光の消えた表情になる。
「その言葉を聞いて思ったんだ。ああ、こいつもいつか俺を捨てるのか、と。俺は恋人と長続きした試しがないんだ。どうせこいつも、関係に名前が付いたら、きっといずれ離れていく。宗三にまで捨てられたら、俺は……」
 ぺこ、と空になった缶を凹むほど握りしめて、そのまま長谷部はうつむく。そのまま寝たのかと錯覚するほど、微動だにしなくなった。
「……長谷部? 起きてるか」
「寝てる」
 ベタな返しで、とりあえず意識がはっきりしていることは確認した。
 もうお開きにしてやろうと、肩に掛ける毛布を持ってきてやる。さすがに、わざわざ布団を敷いてやる気にはなれなかった。
「悪いことをしたと思ってる。けど、無理だ。あいつにだけは捨てられたくない。あいつだけは……」
 自分は、長谷部のことをほとんど知らない。長谷部のいう「あいつ」のことなんか全く知らない。だから何も言ってやれないし、何もできないし、しない。
 俺のできることは、当面のこいつの逃げ場を確保してやることだけだ。

0