迷い犬と拾い主 - 3/5

 閑話休題。
 今の俺の家と実家のちょうど中間くらいのところに、とある新興の探偵事務所がある。
 和泉守探偵事務所、という、兄弟の昔からの親友が立ち上げた探偵事務所で、そこで兄弟が助手をやっているため、時々遊びにこないかと誘われる。兄弟は助手というより、聞いている限りは何でも屋だ。正直、兄弟さえいればあの事務所は成り立つんじゃないかとひそかに思っている。
 そんな探偵事務所に、最近人探しの依頼が入ったらしい。しかし、その依頼が難航しているという。
「探し人は大卒すぐの成人男性だって聞いて、人間関係を洗えばすぐ見つかると思ったんだけどね」
 自分の分のコーヒーも入れながら、兄弟はあくまで明るく言う。
「依頼人も探し人の幼馴染だっていうし、知ってる限りの人間関係は教えてもらったし、総当たりしてみたんだけど……どうも、その人、一人の人と恋愛関係になると、ほかの人間関係をすべて切っちゃう人だったみたいで。歴代の恋人全員にあたってみたんだけど、それでも手掛かりなし。この現代社会でこれだけ孤立して生きるのも、逆にすごいよね」
 コーヒーを淹れおえた兄弟は、自分と対面のソファに腰かけて、ううんと背伸びをした。
「仕方ないから、最後に行方をくらませた近辺で聞き込み調査をしてるんだ。今は兼さんと交替中。兄弟の家の近くでもあるから一応聞いてみるけど、こういう人、見たことある?」
 そう言って、兄弟は一枚の写真を取り出す。その写真を見て、自分の鈍い表情筋に感謝した。
 今とほぼ変わらない見た目の、多少は若者らしいラフな服装をした、自然な表情で笑っている長谷部がそこにいた。
「……もしかして、何か知ってる?」
「いや、知らないな」
「兄弟。僕に、嘘ついてバレないと思う?」
 まったく表情には出さなかったはずなのに、笑顔で兄弟に問い詰められて白旗をあげた。確かに、兄弟相手に嘘やごまかしが通用するとは思わない。
「ちなみに、依頼人について教えてもらうことはできるか?」
 その俺の問いかけに、兄弟は少し悩むそぶりを見せる。やはり守秘義務があるか、と半分ダメもとでの問いかけだったが、兄弟はいつもの笑顔で答えてくれた。
「うーん、ほんとはダメだと思うんだけど、兄弟だしね。他言無用でお願いします」
「ああ、わかってる」
「といっても、依頼人の何が知りたいの? さすがに詳しい個人情報までは教えてあげられないよ」
「探し人との関係が知りたい。どういう関係なのか、どうしてわざわざ探偵を使ってまで、探しているのか」
「幼馴染、って言ってた。相手が失恋したときに、自分がうかつな口を滑らせたせいで失踪したから、心配しているって。自分でも探したけれどどうにもならないから、お願いしますって、丁寧な方だったよ」
 口を滑らせたせいで、か。いつぞやの長谷部のうわごとを思い出す。おそらく、この依頼人とやらが長谷部の言っていた「あいつ」で間違いないだろう。
 無言で考え込んだこちらに、兄弟は圧力をかけるように笑いかける。
「兄弟の質問には答えたよ。さあ、今度は兄弟が答える番だ」
「……その男なら、うちで預かってる」
「えっ?!」
 予想もしていなかっただろう答えに、兄弟が大声を上げる。気持ちはわかる、俺だって兄弟の立場なら、そういう反応をする。まさか仕事で探してる人間が、身内の家に転がり込んでるだなんて想像もしないだろう。
「うちのアパートの入り口で酔いつぶれてたんだ。邪魔だから引っ張り上げたら、流れで居候させることになった。便利だぞ、あいつ」
「便利だぞ、じゃないよ! なんでそんな見も知らない人間を家に上げちゃうの! 何かあったらどうするのさ!」
 とたんに兄の顔になって説教をしてくる兄弟に、おとなしく頭を下げておく。結果オーライではあるが、軽率だったことには変わりない。
「……すまない」
「もう、しょうがないんだから、兄弟は……」
 しばらくぶつぶつと言っていた兄弟だったが、すぐに気を取り直して、探偵助手の顔になる。
「それで、こちらとしては依頼人に引き渡したいんだけど、こちらに連れてくることって可能かな?」
「いや……多分、素直には来ないし、騙して連れてきたらまた逃げるぞ、あいつ」
「一体どんな人なのさ」
「悪い奴じゃないんだ。普通の男だ、普通にしてる分には。ただ、恋愛関係が絡むとな……」
「……まさか、兄弟、その男に惚れられてるとか、ないよね?」
「それはない」
 おそらく聞き込みの過程で知っているのだろう、男も恋愛対象になる相手に惚れられているのではないかとこちらの身を案じる兄弟に、ばっさり否定する。はっきり聞いたわけではないが、どうもあいつの恋愛遍歴を聞いてると俺は好みからは遠く外れたところにありそうだ。
「兄弟が濁したのか、依頼人が濁したのかは知らないが、相手が失踪したのは依頼人が告白したのが原因だろ。依頼人にまだその気持ちがあるのかどうかは知らないが、それをどうにかしないと永遠に逃げ続けるぞ、あいつ」
「それ、探し人本人に聞いたんだ?」
「まあな」
 そこまで話して、兄弟は深いため息をついてソファに沈み込んでいく。
「……僕としてはね、あくまで依頼は「探し人を見つけること」だから、一度引き合わせさえできればそれで仕事は終わりなんだ。だからその後のことは別に考える必要はないんだけど……」
 疲れたように目を閉じていたが、一度だけ、ちらっとこちらを見る。
「兄弟は、その人にそれなりに情があるんでしょう? なら、切国の兄弟としては最後まで付き合ってあげたい気持ちも出てくるよね」
「……なんか、悪いな。俺のせいで」
「そんなことないよ。これは僕の勝手な気持ち」
 よ、っと沈み込んでいた体を反動をつけて起こして、気分転換に兄弟は冷めてきているコーヒーに口をつける。
「僕は僕で、依頼人さんと報告がてらちょっと話をしてみるよ。兄弟は、捜し人さんとどうにか落としどころを見つけてきて」
「わかった」
「なんか仕事の話になっちゃったけど、また気軽に遊びにおいでよ。兼さん共々歓迎するからさ」
 ごちそうさま、と空になったコーヒーカップを置いて、笑顔で手を振って見送る兄弟に背を向けた。

 

 さて、どう長谷部に切り出したものか。家に帰る道中考える。
 おそらく下手な切り出し方をすれば、その時点で長谷部はまた行方をくらますだろう。それくらいのことはわかるようになってしまった。
 けれど、自分で言うのもなんだが、俺は口がうまくない。結局どう切り出そうが、相手に違和感は感じさせるだろう、そう思ってしまう。
 それならいっそ直球で行くか。
 そのほうが自分らしいともっともらしい言い訳をしながら、家のドアを開ける。いつものように人の参考書を勝手に拝借して、暇つぶしと称して読んでいる長谷部が目に入った。ドアの開いた音で、長谷部が顔を上げる。
「お帰り。兄弟と会うっていうから、もっと遅くなると思ってたぞ」
「……ちょっと、いろいろあってな。お前のことで」
「……俺?」
 お前他人に俺の話をしたのか、と怪訝そうな顔の長谷部に、単刀直入に切り込む。
「お前、探されてるぞ。お前の幼馴染とやらに」
「……は」
 返事というよりは、肺の中の空気が思わず漏れたというような返事をして、長谷部が固まる。さすがに家の中だ、逃げ場はない。そのまま長谷部の真向かいに腰を下ろした。
「お前、会う気はあるか?」
「……あると思うのか?」
「まあ、ないだろうな。だが、言っておくが逃がすつもりはないからな。俺はお前と兄弟なら兄弟の肩を持つぞ」
 むっつりと黙り込んでしまった長谷部に、一呼吸おいて話しかける。
「どうして逃げようとするんだ。お前の今までの恋愛遍歴なんか知らんが、そいつらと違って幼馴染なんだろ。どういう奴かは知ってる筈だろうが。それとも、逃げなきゃいけないくらいヤバい奴なのか、お前の幼馴染ってのは」
「……逆だよ。あいつがヤバいんじゃない、俺が歪んでるだけだ。素面じゃ話す気になれん、酒をくれ」
 絶対に逃げることはしないから、と言い張る長谷部に、確かに素面でする話でもないなと、若干の不安を覚えながらも酒を買い出しに行く。できるだけ急いで戻ってきたら、そこには先ほどからまったく姿勢の変わらない長谷部がそこにいて、疑ったことを多少申し訳なく思った。
 いつぞやの夜のように、缶チューハイを手渡して互いに煽る。お互いちっとも酔える気はしなかったが、ぽつぽつと長谷部は語り始めた。
「俺はたぶんどこかおかしいんだ。いつだって、自分を支配してくれる男を求めてる。自分の全てを捧げて、全てを受け入れてくれる男を求めてる。だから、そこに付け込まれるんだ。俺もその時は盲目になってるから、いくら搾取されようが、自分を粗末に扱われようが、いいように利用されようが、むしろそれが愛なんだと思い込んじまう。そして重荷になった相手に捨てられるんだ、いつものことだよ」
 とつとつと語る長谷部の表情は無に近い。聞いている分には、どうしてそこまでわかっていて改善できないのかと思ってしまうのだが、心の病というのはそういうものなのだろう。
「……あいつ、宗三はな、子供のころからずっと、唯一切れなかった幼馴染なんだ。どんなに俺が馬鹿な真似をしようが、皮肉と罵声で現実を見せようとしてきたし、捨てられてぼろぼろになったときにいつも傍にいるのは宗三だった。だから、だから、あの時……」
 ぽろ、と、長谷部の目からひとつぶ、涙がこぼれた。表情は変わらないままで、ただぽろぽろと、無機質に水分が流れ出るように。
「あいつは俺が求めてるものだってちゃんとわかってた。それを与えてやると言ってくれた。あいつなら、きっと最後まで、俺を甘やかしてくれるんだろう。けど……だけど……信じたい、でも、怖いんだ。だって、もし、万が一、あいつが俺に愛想をつかしたら? 関係が変わったことで、面倒を見切れないと、捨てられたら? 俺は……俺は」
 ぽろぽろとこぼれるだけだった涙が、蛇口の壊れた水洗のように、涙が止まらなくなる。次第にしゃくりあげる長谷部の声は震え、最後のほうはもう言葉にもならなくなっていた。
 正直、恋愛経験のない俺には想像もつかないことで、あまり感情移入はできそうにない。だからこそ、冷静な視点で指摘をすることもできる。
「だからと言って、逃げてたら何も始まらないだろ」
「始まらなくていい。だって、始まらなかったらそもそも終わらないだろ」
「それは屁理屈だろ。大体、話を聞いてる限りだと、お前、そいつのことまんざらでもないんじゃないか。なんでそこで逃げるんだ」
「怖いんだって言ってるだろ! 俺には、俺にはあいつしかいないんだ」
「……あんた、たまに恐ろしいくらい極論に走るよな……」
 もう子供のように泣きじゃくって、丸まる長谷部の背中を撫でてやる。ふと、なんとなく思いついた言葉が口から洩れた。
「なら、ダメになったらまたうちに来ればいい」
「……はぁ?」
 さすがにその言葉は予想外だったのか、涙でぐしゃぐしゃになった顔を長谷部があげる。その顔が自分より幼く見えて、なんだか笑えてきてしまった。
「俺は間違ってもお前に告白なんかしない。恋愛対象外だからな。けど、あんた自体は嫌いじゃないと思ってる。また置いてやってもいいくらいにはな。その宗三とやらにフラれたらまたうちに来い。しばらくは置いてやる」
 自分でも何を言っているんだと思わなくもないが、実際、こいつとの生活は悪くなかった。こんな約束をしてやってもいいと思うくらいには情もある。
「……は、はは。そうか。お前が俺の避難所か」
 まだ多少ぼろぼろと涙をこぼしながらも、長谷部がへたくそな顔で笑う。
「……正直、宗三にフラれたら俺はもう二度と立ち直れる気がしないぞ。ろくに何もできないごくつぶしに成り下がるかもしれんが、それでもいいのか?」
「まあ、なんとかなるだろ。それに、人間、飯食って寝て運動すればいずれは何とかなる」
 我が家の三兄弟の家訓でもある「健全な精神は健全な肉体に宿る」を実践してもらう。俺たち兄弟が単純な部分もあるが、案外こいつもそれでうまくいくような気もしていた。
「なんだそれ、脳筋か」
「よく言われる」
「言われるのか……」
 まだ目じりに残る涙を手首あたりで拭い、ようやく長谷部が笑みを浮かべる。その様子を見て、これなら大丈夫だろうと思った。
 あとは、兄弟が幼馴染とやらにどう話してくれるかどうか、だ。

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