お互いの日程を合わせた当日。
邪魔も入らない、ゆっくり話ができたほうがいいだろうと、やはり事務所での顔合わせになった。
長谷部は朝からそわそわと落ち着かない。
実は、この日までに何度か逃げ出しかけたことがある。夜中コンビニに行くといいながらもあからさまに挙動不審で問い詰めれば、観念したように家の中に戻るといったことを何回か繰り返した。
それでもちゃんと逃げずに今日を迎えたのは、最悪俺のところを逃げ場にしてもいいといった言葉が効いているのだろうと、勝手に思っている。
先を歩く俺の後ろをちゃんと着いてきているか、時々後ろを振り向いて確認する。うなだれて遅々とした歩みながらもちゃんとついてくる姿に安心しながら、なにもそこまで露骨に嫌がらなくてもいいだろうと、一度顔を合わせただけの宗三を不憫に思ってしまった。
兄弟と宗三はすでに応接室にいるとのことで、あとから自分たちも事務所に入る。長谷部を先に部屋に入れようと、応接室の扉を開けたとたん、長谷部が今までの様子が嘘のように機敏に動いた。
「すまん、やっぱり無理だ!」
「なにが無理ですかこの馬鹿!」
奥から聞こえる罵声はとりあえず置いといて、一番近くにいた自分がとっさに長谷部の腕をつかんで引き留める。ダッシュで逃げようとしていたところに腕をつかまれて、長谷部はたたらをふんだ。
「この期に及んで逃げるか、お前は」
宗三の言った通りだったな、と思いながらあきれてつかんだ腕を引っ張る。さすがにもう逃げられないと悟ったか、観念したように長谷部はおとなしく応接室に連行されていった。
中には腹を立てたように両腕を組んで眉を吊り上げている宗三と、それをなだめるように苦笑している兄弟が並んで座っていた。兄弟の対面に自分が、宗三の対面に長谷部が来るように座らせる。長谷部はおとなしく座ったが、目の前の宗三とは視線を合わせようとはしなかった。
とりあえず、自分と兄弟はあくまで立会人だ。両者が口を開くのを待った。
「……いろいろと言いたいことはありますが、元気そうで何よりです」
まだむすっとしたままではあるが、ひとまずは怒りを抑えて宗三が口を開く。それにつられて、長谷部も重い口を開けた。
「いい人間に拾って貰えたからな。ずいぶん平穏な生活をさせてもらった」
「でもあなた、いつまでもそのままじゃいられないでしょう。先方にも迷惑でしょうし、どうせ行くところがないならうちに来なさい」
「……切国には、行くところが決まるまでとの約束だ。さほど長くはいない、すぐ見つけるさ」
「だったらうちにいても同じことでしょう。いっそ、うちに越してきなさいよ。そのほうがずっと話が早い」
「お前にそこまで甘えるわけにもいかんだろ」
「赤の他人に甘えるのはいいのに?」
「……それは……」
はあ、と宗三が溜息を吐く。もうその顔は怒っていない、むしろ何かの覚悟を決めた顔だった。
「あの日の続きを言いましょうか。誰でもいいなら僕にしなさい。いや、他の誰かじゃない、僕を選びなさい。僕は、ほかの誰でもないあなたが必要なんですよ」
「お前、冗談だって、言ってただろ」
「そんなの、それこそが冗談だってあなたならわかってるはずでしょう。だから逃げたくせに。あなたは僕の言うことを聞いていればいいんですよ。そういう言葉が欲しいんでしょう? ……必要とされたいんでしょう、愛されたいんでしょう?」
あえて強い言葉を使っているのだろう、宗三の言葉に、長谷部がぐっと唇を噛みしめる。いつだったか、長谷部が言っていた言葉を思い出す。『あいつは俺が求めてるものだってちゃんとわかってた』
「僕はあなたが何をしようが、どんな人間であろうが、全部受け入れますよ。何年幼馴染やってると思ってるんですか。あなたのいいところも悪いところも全部知ってます。それでもまだ足りないというのなら、これから教えてくださいよ。全て受け入れてやりますから」
「……お前が、そういうやつだって、俺だってわかってる」
喉の奥から絞り出すような、苦し気な声で、長谷部が言う。
「だから、嫌だ。信じてるのに信じられない自分が嫌だ。お前の言葉に嘘はないとわかっているくせに、どうやっても疑ってかかる自分が心底嫌になる」
「でしょうね。あなたはそういう人だ。でも、それをすぐ治す必要もないんじゃないですか?」
「……何だと?」
ほんとうに苦しそうに言った長谷部の言葉に、すんなりとした答えが返ってきて、長谷部は思わず目をむく。
「僕はあなたのそういうところも知ってますよ。僕が気にしなくても、あなた自身が勝手に気にして苦しむことも知ってます。疑ってもいいですよ、でもその代わり、疑ったならちゃんと口にしてください。そのたびに、その疑いを溶かしてさしあげますから。手段は問わずにね」
思ってもみなかった、という言葉をかけられて、長谷部が目をむいたままフリーズする。そんな長谷部に宗三が片手を伸ばして、頬をひと撫でした。
「どうせあなた一人で悩んでたって、いつまでたっても治らないんですから。付き合ってあげますから、一緒にその疑心暗鬼、治していきません? 一生分あれば、時間としては十分だと思いますけど」
長谷部は撫でられた頬をたどるように自分の手を当てて、ようやく行為と言葉が染み入ったのか、いきなり火のついたように真っ赤になった。
「……ね、うちに帰りましょう。一緒に」
宗三のその優しい声に、真っ赤になったままの長谷部が、こくりとうなずく。
ひとまずは、これで丸くおさまることだろう。
一部始終を見せられたこちらとしては、一生分の恋愛ドラマを見せられた気分だった。しばらく甘いものは食べたくない。
ほぼ着のままで転がり込んだ長谷部には、私物という私物は特にない。もうこのまま引き取ってもらってかまわないということで、まだ頬に赤みの残る長谷部は宗三と仲良く事務所を出て行った。多少なりとも袖の触れ合った縁だ、あの二人がうまくいくことを祈る。もうあまりかかわりたくはないが。
「いやあ、大団円って感じだね!」
「兄弟はなんでそんなにテンション高いんだ……?」
完全に二人の空気に充てられてぐったりしてしまった自分と比べて、兄弟は心底楽しそうにニコニコしている。そのバイタリティは見習いたいものの一つだ。
「やっぱり、こんな稼業をしていると、うまくいかなかったり、不幸な現実とかも多いしね。今回は本当にハッピーエンドで終わってよかったなって」
「……考えなしですまない」
いつも笑顔の兄弟ばかり見ていたせいか、そこまで気が回らなかった。当然か、探偵稼業には不倫調査のような暗いものも多いと聞く。その中で、今回の案件は笑顔になれるよいものだったのだろう。
「謝らないでよ。今回は兄弟もお手柄だったしね。兄弟が偶然長谷部さんを拾って、橋渡しをしてくれてなかったら、今回も後味悪い結果に終わってたかもしれないし」
「……そうか、そうだな」
短い間だったが、長谷部と暮らした日々もそれなりに楽しかった。
あとは、また俺の家が避難所として稼働しないことを祈るばかりだ。
ぜひ杞憂に終わることを願う。
迷い犬と拾い主 - 5/5
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