「お前は、情が深い刀だから」 - 2/5

 今日は珍しく出陣部隊に入れられて、血のようなものと土埃で汚れた具足を手入れ部屋で脱ぐ。ここに置いておけば、手入れ妖精が勝手に手入れをしてくれるのだ。
 何なら戦装束もきれいにしてくれるのだが、流石に部屋まで下着姿でうろつくのも品がない。面倒でも、内番着に着替えて再度足を運ぶ二度手間をとらなくてはいけない。中には面倒臭がって、本当に下着姿でうろつくものもいるし、部屋が汚れるのも厭わず部屋でまとめて脱いでから持ってくるものもいるが。
 さっさと着替えたいな、と汚れたままの着物を見て思う。戦うことは好きだが、汚れるのはもちろん好きではない。疲労だって当然溜まる。戦帰りの興奮がまだ残っているから動けるが、この高揚感が切れてしまえばすぐにでも横になってしまうだろうと思えた。
「お疲れ。ちゃんと誉れは挙げてきたんだろうな?」
「長谷部」
 肩を落としてため息をついていたところに背中から声をかけられて、振り返る。いつものように勝ち気な笑みを浮かべた長谷部が、戸のふちに寄りかかるように立っていた。
「当然でしょう。僕を誰だと思ってるんです」
「魔王の刀だろ、言うまでもない」
 お互い、修行に出る前は冗談にできなかったような軽口を叩く。別にあの魔王に対するわだかまりがすっかりなくなったわけでもなさそうだが、こうして冗句にできる程度には話しやすくなった。いい傾向だと思う。お互いに。
「わかってるじゃないですか」
 言いながら、体をそちらに向ける。
「で、貴方、何か用でもあるんですか? わざわざこんなところに来るなんて」
 今日の出陣面子に、長谷部は含まれていなかった。現に今の長谷部は黒いカソックもどきの服ではなく、いつもの首まできっちり締めたジャージ姿だ。わざわざ手入れ部屋までくる理由なんか何一つない。
「お前に話があってな」
「それはわかってますよ。何の用だと聞いているんです。僕、疲れてるので手短にお願いしますね」
「疲れてるなら癒やしてやろうか」
「は?」
 は?と、頭で思ったそのままが口を突いて出た。何を急に、訳のわからないことをと。
 怪訝な表情が諸に表に出ているだろう、こちらの様子など歯牙にもかけず、後ろ手に戸を閉めた長谷部がこちらに近づいてくる。
 こちらの正面に立つと、少し腰をかがめて、下から上目遣いに見上げてくる。その行動の脈絡のなさと、いつの間にかすり替わった情欲を灯した怪しい目つきに気を取られて動けない。すっと腰を伸ばして、こちらの耳に微かに触れるような距離で、囁かれた。
「なあ宗三。お前、俺に口説かれてくれる気はないか?」
 ごく、と音がしたのは、自分の喉からなのだろうと思う。そう思ってしまうくらい、今の状況に現実味がなかった。
 さきほど唾を飲み込んだというのに、からからに乾いた喉を絞って声を出す。
「な……んですか、それ……」
 フフ、と長谷部が笑うたび、耳元が擽られる。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。一歩でも動いたら、このおかしな空気に飲み込まれてしまいそうな、そんな恐怖があった。
 肩にそっと手を当てられて、びくりと反射的に体が震える。その手がするすると胸にまで降りていく。どくりどくりと跳ねる心臓の音が、お互いの耳に届いているような気がした。
「そんなに怯えるなよ、無理やり取って食うような真似はしないから。それじゃ意味がない」
 怯えているわけでは、ない。いや、怯えているのか? わからない。
 どちらにせよ、まともに呼吸するのすら困難で、喘ぐような息しかできないのは事実だった。
「ちゃんとお前に靡いて欲しいんだ、俺は。……なあ、疲れてるなら、癒やしてやろうか?」
 滴るような色気のある声が、耳を犯す。そんな声が与えるという『癒やし』が、どういう意味なのかわからないほど初じゃない。
 冗談じゃない、と思った。そんな心のない、欲だけの関係など交わせるか、と。
 その怒りで、ようやく空気に飲まれてわからなくなっていた現実感が戻ってくる。長谷部の両肩を掴んで、こちらの体から引き剥がした。
 変わらず、怪しい光を湛えた藤色の目を、負けずと睨み返しながら吐き捨てる。
「いきなり、どういうつもりですか。欲求不満なんですか? それならそれ相応の場所にでも行ったらどうなんです」
「言っただろ、お前に靡いて欲しいんだって。別に誰でもいいって訳じゃない、お前がいいんだ」
「意味がわかりませんよ。急に貴方がこんなこと言い出す理由もわかりませんし、僕である理由もわからない」
「急じゃないさ。お前だって気づいてただろ」
 言われて、つい黙り込む。思い起こすのは、ここ最近長谷部から晒されていた意味のわからない視線で、あれはこういうことだったのかとようやく理解する。にしたって、あれにはいわゆる恋情だのの甘い感情はなかった気もするが。
「もう一つに関しては、上手く言えないんだがな。……お前を選べば、後悔しないと思ったんだ」
「どういう意味です、それ」
「自分にもわからん。直感のようなもんだ」
 器用にも掴まれた肩を竦めて、長谷部は茶化すように言う。それは大したことではないと言うように。
 その軽い態度からは真剣さは見られない。たちの悪いからかいなのではないかと思えるくらいの態度に、思わず力が抜けて手を離してしまった。
「馬鹿馬鹿しい。冗談にしても笑えませんよ」
「冗談に見えるか? これが」
 す、と手が伸びてきて、こちらの頬を撫でる。親指で頬骨をあたりをなぞられて、一瞬ぞくりとしたものが駆けのぼったのを気づかないふりをした。
「……生憎、男に抱かれてやる趣味はないので」
 いい加減辟易としながら、手を払いのける。自分のなりが女性的であるという自覚くらいはあるが、役割としてまで求められるのはお門違いにも程がある。
 何がおかしいのか、長谷部はくつくつと喉奥で笑う。いい加減睨みつけるのも限界で、ため息をつくついでに視線を逸らした。
「なら逆ならどうだ」
「逆?」
 言われた意味が咄嗟にわからず、思考が止まる。止まった頭が動き出す前に、また、こちらの髪を巻き込み下からすくい上げるように頬に手を添え、くいと顔を持ち上げられた。また、あの目と視線がかち合う。
 男らしい肉厚な唇を、湿らせるように舐める。ちらと覗いた、その舌の赤さがやけに目についた。
「俺をメチャクチャに抱いてくれ、宗三。お前になら、抱かれてもいい」
 唇同士が触れそうな至近距離まで近づかれ、そう囁かれる。告げられた言葉の意味を理解する前に、咄嗟に相手を突き飛ばした。
 おとなしく突き飛ばされる反動のままに、長谷部の体が離れる。この部屋に入ってきてからずっと変わらない怪しい目つきと、毒のように染み入ってきそうな甘い声、そんなものから囁かれる内容に、頭がどうかしてしまいそうだった。
 見失いそうになる正気を手繰り寄せるために、幾度か胸に手を当て深呼吸をする。
 最後に思い切り息を吐きだして、その勢いで吐き捨てる。
「まさか、貴方にそんな趣味があるとは思ってもいませんでした。そういう趣味なら、もっと誘惑しやすい相手がいるんじゃないですか」
「趣味、か。別にそんなんじゃない。お前だけだ。……お前だけがいい。口説くのも、抱かれるのも」
 なぁ?と、突き飛ばされた中途半端な距離のまま、長谷部が笑いかけてくる。声の調子はいつもと同じ、どこか挑発的なものなのに、そこにこもる色香はまるで別のもののようで、今自分は何と対峙しているのかわからなくなる。
 これに飲まれてはいけない、と、本能的にそう感じる。きっと、これに飲まれてしまったら、自分の中の何かが、取り返しつかないほど変質してしまうのではないかと。
 だからこの場で長谷部に対して告げる言葉は、決まりきっていた。
「お断りします。僕にその気はありません」
「そうか。残念だ」
 案外殊勝に引き下がる長谷部に、逆に不審を抱いて、眉を寄せて表情を伺う。その顔は変わらずこちらを落ち着かなくさせる笑みを浮かべたままで、到底納得している様には見えない。
「ここは一旦引いてやるよ。疲れてる時に悪かったな」
「……ええ、本当に。本当に余計疲れましたよ」
 一旦、というのが気にかかるが、そこを突いたら藪蛇になりそうで、あえて聞き流す。
「けど、少しくらいは、意識してくれただろう?」
「……」
 その言葉に、何を言ってもボロが出そうで、沈黙で返す。色を感じさせる言動に、肌の触れ合い。今までただの同僚としてしか見ていなかった、何なら堅物だとすら思っていた刀からぶつけられた考えられないくらいの色気に、落差に心揺さぶられたことは否定できない。
 そんなこっちの心境を知ってか知らずか、いやおそらくある程度手応えはあったのだろう、愉快そうに長谷部は声を上げて笑った。
「別にこれで諦めるわけじゃないからな。お前がその気になってくれるまで口説き続けるぞ。……なあ、減るもんでもなし、いいだろ?」
 物理的に距離が離れたおかげで、こちらもだいぶ平常心を取り戻しつつある。呆れ混じりに、腕を組んで言い返した。
「そりゃ減るものはないかもしれませんけどね。だからといって何でわざわざ好きでもない相手を抱いてやらなきゃいけないんです」
「なら、好きになってくれ。元々はそれが主目的なんだ」
「はあ……なら、せめて正攻法で口説いてきなさいよ」
「まだるっこしい。大体、お前がどんなタイプが好きかも想像できん。それくらいなら、身体に訴える方が手っ取り早い」
「……呆れた、この色情狂が」
 心底呆れて長谷部を見る。あいにく身長は同じくらいなので目線の高さも同じだが、気持ちとしては見下げるくらいの心地だった。
「色情狂とはひと聞きが悪い。お前だけだって、言っただろ」
 お前になら何だって許してやる、なんて、殊勝な言葉を吐くけれど、熱に浮かされた、こちらの欲を刺激するような顔で言われてもあいにく説得力がない。普段の禁欲的にすら見える態度は偽りで、こちらが長谷部の本性だったのではないかとすら思えてきてしまった。
 とにかく、これ以上こんな空気の中にいたら、うっかり気の迷いでも起きてしまいそうだ。現に今、長谷部のことを『そういう』目で見始めている自分がいることに、うっすら気づいている。このままだと、押しに負けて血迷いかねない。
 あえて多少強引に、目の前に立ちはだかっている長谷部をぐいと横に押しのけて、出入り口の戸に手をかけて、開く。
 開いた戸から差し込んできた日の明るさが、部屋の中のやましい雰囲気を洗い流してくれたようで、無性にほっとした。
「もう戻るのか?」
「当たり前でしょう。そもそも色々と途中だったんですよ」
「ついて行ってもいいか?」
「お断りします」
 薄暗さのある部屋の中よりは、よっぽどはきはきと拒絶の言葉を吐ける。これでようやく撒けるのか、と安心の息を吐いたところで、背後から掛けられた言葉にまた顔をしかめる羽目になった。
「諦めたわけじゃないからな、精々意識し続けてくれよ」

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