もう何度目かもわからない夜の後、ふと思い浮かんだのは、自分にとっては取るに足らない雑談のようなつもりだった。
「そういえば。『何故僕なのか』は聞きましたけど、そもそも『何故連れ合いを作ろうと思ったのか』までは聞いていませんでしたね」
手持ち無沙汰に、自分の毛先を弄びながら問いかける。こういう時は相手の頭か頬でも撫でてやるのが無難なのだろうが、あいにくそんな甘い関係であるつもりはない。
こてん、と首を傾げた長谷部が、不思議そうに問い返す。さらりと揺れる硬質の髪に、指を通したいと感じた心を黙殺した。
「わざわざ聞くような事か? 人恋しくなったから、で十分だろう」
「他の刀ならそれで納得もしたんでしょうけどね。よりによって貴方が、というのがあって。貴方は、主さえいれば満ち足りる性格をしていると思っていたので」
自分で言っていて、この刀に口説かれるたび感じていた、胸の中に湧き出るもやっとした不審感の理由が腑に落ちた。理解できない、と感じていたのは、自分が相手に対して『わざわざ情人を作る必要などないだろう』と考えていたからなのだと。
問いかけに対する返事は、すぐには返ってこなかった。先程まではきはきといらえを返してきたくせに、と思って、ここでようやく相手の方に視線を向けると、こちらを見ていた藤の目と視線がかち合う。
「……ひとりでいたくないんだ」
ぽつりと落とされる言葉だけでは、要領を得ない。苦しそうに唇が震えるのを、ただ黙ってじっと見守った。
「そうだな、お前の言うとおりだ。俺には主さえいればいい。他の有象無象は、所詮ライバルであり、俺にとって二の次でしかない。……けどな、主はいずれ俺を置いていってしまうだろう」
何かに縋るように、長谷部がこちらに手を伸ばして、ひとすじ伸ばしている長い髪を自分の側に引き寄せて、指先に絡めて遊ぶ。いつもだったらはたき落としてやるが、この時だけは好きにさせてやった。
そうさせてやらないと、いけない気がした。
「人間である以上、寿命は仕方のないことだ。……それでも、置いて行かれたくない、と言ったら、軟弱だと笑うか?」
語尾はこちらに問いかけるような調子だが、全体としては独白そのものだ。あえて何も答えずに、目だけで先を促す。
甘えるようにこちらの毛先を指先で擦って、自らの頬に当てる。きっと、そこに触れてほしいのだろうとは察していた。
「だから、その前に、きちんと最大限主のお役に立てる場面で、折れてしまいたいと思う。先に地獄の門の前に立ち、いつかお出でになる主を待ち続けるのだと」
どこか恍惚としていた長谷部の顔が、そこで歪む。形としては笑みになるが、そこに滲んだ感情は、自嘲なり絶望なり、およそ自分への蔑み、憐憫、そして悲しみに満ちていた。
「待つのはいいんだ、慣れてるし。きっと、今の主は迎えに来て下さるだろう。だが、ひとりで待ち続けるのは、さみしい」
どんどん小さくなる、最後には掻き消えそうなくらい小さい声でそう言い切って、長谷部は髪から手を離し、こちらの肩口に額を当てて縮こまる。
濡れた感触こそないが、泣いているのかと錯覚するくらいには、細かく震えていた。
珍しく、というか布団の中では初めての、長谷部からの接触。こんな話の最中でさえなければ、これまで考えていたように突き放せていたかもしれない。
けれど、もう、認めざるを得なかった。
少し躊躇いながらも、そっとその震える背に手を回す。宥めるようにやさしく上下に擦って、鼻先にある長谷部の頭に顔を埋めた。すぅっと息を吸い込めば、微かに残る洗髪剤の匂い混じりの体臭が胸を満たす。
こんな独白など、聞きたくなかった、聞かなければよかったと思った。
だって、こんなの聞かされたら。
「……仕方ないから、その時は隣にいてやってもいいですよ」
こう言ってやるしかないじゃないか。
あの時の、長谷部の言葉を思い出す。『お前を選べば後悔しないと思ったんだ』。確かにそうだな、と思ってしまった。
なんとなく、長谷部とは通じるものがある。元に同じ主を戴いていたからなのだろうか、あの魔王に充てられた同士、最期に堕ちる場所は同じなのではないかと、そう思えるだけの何かがある。
そうやって、同じ場所に堕ちるもの同士、今も同じ主を戴くもの同士、一緒に居てくれないかと。傷の舐め合いをしてくれないかと。そういうことだろう。
そして、それに応えてもいいと思えるだけの情は、できてしまった。
これで全部長谷部の計算通りなのだとしたら癪だな、と思いはするが、計算などしない無意識のものではないかとも思えるし、真相はわからない。仕方ない、とため息を一つついて、背中に回した腕に、もう少しだけ力を込めて抱いてやる。
仕方ない、もう一緒にいてやるくらいの情は、この独白をいじらしいと愛してしまうくらいの情は、芽生えてしまったのだから。
ごまかしきれなくなってしまった愛しさと、うまく嵌められた悔しさと、いいように利用される小憎たらしさを綯い交ぜにして、頭の上から皮肉を吐く。
「本当に、ずるい男」
腕の中に抱えた体はいつの間にか震えが止まっていて、くすり、と笑う気配がした。